横山仁吉

山形県肘折温泉の横山仁右衛門商店主で、横山木工場を経営した人。
明治11年山形県最上郡大蔵村肘折温泉の旅館業横山仁右衛門(屋号:朝日屋)の長男として生まれる。日清戦争に従軍、帰還後の明治29年に母親が病気により失明し、旅館業を続けることができなくなったため土産物店に商売替えをした。大正11年に店舗裏手に木工場を併設し、佐藤周助・巳之助・横山政五郎・中島正・佐藤寅之助等を職人して雇った。
下掲の写真は〈日本郷土玩具・東の部〉に掲載されたもの。左側のこけしは横山仁吉名義で紹介されている。おそらく横山仁右衛門商店に注文して取り寄せたものであろうが、作者は巳之助あるいは中島正である。注文に対して工場の職人の作を送ったものを、送り主横山仁吉が作者と誤認されたと思われる。

右より 肘折(佐藤周助) 同(横山仁吉)  〈日本郷土玩具・東の部〉
右より 肘折(佐藤周助) 同(横山仁吉)  〈日本郷土玩具・東の部〉

大正13年に肘折に電気が入ったため、動力ロクロの使用を開始したが、不況などの影響により木工場は昭和5年に閉鎖した。橘文策著〈こけしざんまい〉によれば、昭和7年に橘文策が肘折を訪ねた折に、中島正がロクロで木地を挽いている旨の記載があるため、同9年に中島正が肘折を離れる直前までは細々とではあるがロクロ製品の製造をしていた可能性がある。仁吉自身は昭和11年7月24日59歳で没した。なお、仁右衛門商店の現在の当主は仁吉の孫にあたる盛芳氏(昭和10年生)である。

現在の横山仁右衛門商店(平成26年11月)
現在の横山仁右衛門商店(平成26年11月)

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