阿部一郎

阿部一郎(あべいちろう:1925~2000)

系統:土湯系

師匠:阿部新次郎

弟子:阿部勝英/阿部利昌

〔人物〕 大正14年1月8日、福島県土湯温泉木地業阿部新次郎・よりの長男に生まれる。阿部治助は伯父にあたる。昭和16年より父新次郎について木地を学んだ。こけしも作ったが、昭和18年には転業した。戦後の再開は昭和30年1月である。以後、土産物店を営む傍ら、こけしの製作を続けた。昭和43年に松屋の阿部シナの後夫阿部勝英が、こけし作りを始めるにあたって、一郎が木地の指導を行った。また昭和50年には水戸屋の長男阿部利昌にも木地を教えた。
平成12年8月6日没、行年76歳。

〔作品〕 戦前は、昭和16年から18年にかけてこけしを作ったというが明確に一郎作として残っているものは少ない。下の写真の右は、胴底に一郎と書かれており、また左側の昭和33年作に比べて古風かつ稚拙であるから、あるいは戦前かと言われているが、おそらく昭和30年の再開時のものであろう。顔にはやや太治郎の影響が見えるが、戦前に繋がる復活初作の8寸の方がこけしとしては面白みもあり、評価されるだろう。

〔右より 24.2cm(戦前か?)、18.2cm(昭和33年)(山本吉美)〕
〔右より 24.2cm(戦前か?)、18.2cm(昭和33年)(山本吉美)〕

昭和30年代の産地土湯は太治郎風の影響に、新型描法が加わって、もっとも調子の下がった時期であった。戦前のれっきとした作者陣もほとんどこの風潮から逃れられなかった。一郎も表情に癖のある土湯一般型のこけしに変わっていった。
昭和40年代に入ると、土湯の工人たちがそれぞれ古作の復元を行うようになって、一郎も戦前の父新次郎のものを盛んに研究するようになった。
下に掲げた写真は、昭和42年に〈こけし這子の話〉時代の、ロクロ線だけの胴模様であった新次郎のこけしを復元したもの。こうした復元を通して、戦後のこけしブーム到来と呼応した土湯こけし再興の時代が始まった。
一郎の新次郎型は運筆がやや硬めではあったが、それぞれの時代の新次郎の特徴をよく抑えた佳品が多かった。

〔18.8cm(昭和42年9月)(橋本正明)〕 新次郎型
〔18.8cm(昭和42年9月)(橋本正明)〕 新次郎型

系統〕 土湯系松屋系列

 

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