タグ別アーカイブ: 小林倉治

小林吉兵衛

〔人物〕明治9年7月26日、山形県山形市八日町小林倉治、シュンの三男に生まれた。倉吉は長兄、吉太郎、吉治、吉三郎は弟である。吉兵衛は三島通庸初代県令が師範学校とともに開設した南山学校に学んで卒業、明治20年ころから約2年… 続きを読む

神尾長三郎

〔人物〕弘化2年10月7日、山形県北村山郡東郷村大字泉郷の農業神尾長三郎長男としてに生まる。神尾家は代々長三郎を名乗っていた。明治11年34歳のころ、山形の小林倉治に入門し木地挽きを修業した。長三郎の妻は北村山郡沼沢村出… 続きを読む

小林吉太郎

〔人物〕明治12年2月3日、山形市十日町の木地業小林倉治、しゅんの四男に生まれる。倉吉、兼吉、吉兵衛は兄、吉治、吉三郎、庄吉は弟である。 吉太郎は南山学校(寺子屋)で教育を受けた後、明治23年に仙台の瓦屋に丁稚奉公に出さ… 続きを読む

小林倉吉

〔人物〕明治4年4月1日、木地業小林倉治、しゅんの長男として山形市旅籠町に生まれる。母のしゅんは旧姓森谷で北村山郡沼沢村の出身。倉吉は南山学校で学んだ後、明治15年から二年間米沢の酒屋で丁稚奉公をした。明治17年に米沢か… 続きを読む

小林清蔵

〔人物〕明治28年1月12日、山形市旅篭町の木地業小林倉吉の長男としてに生まれる。明治40年13歳で尋常小学校を卒業した後、父の倉吉について木地の修業を開始した。 明治40年代に入ると山形の木地の需要は薄荷入れが中心とな… 続きを読む

南條徳右衛門

徳右衛門の名前が出たのは〈鴻・3〉および〈こけし手帖・33〉で、いずれも山形小林倉治が木地を習った作並の師匠としてである。但しこの時、姓は岩松で岩松徳右衛門となっていた。 高橋五郎の追求で「萬挽物扣帳」(岩松直助文書)が… 続きを読む

小林倉治

〔人物〕弘化2年11月23日、山形市旅籠町の紅屋清蔵の二男としてに生まれる。実家は本来小林姓であったが旧城主最上家と因縁のある小林姓は使いづらく、屋号で名乗っていたらしい。祖父は塩肴漬物商で鹽屋、父清蔵は紅花商を営み、紅… 続きを読む

小林家記録書

山形の小林倉吉が明治41年正月より書き始めた家業の記録書。 小林孝太郎 机の上に置かれているのが小林倉吉執筆の記録書 〔内容概略〕 以下に記録書写本の写真をもとに内容を記す。 まず業祖としての惟喬親王を記述した「序」があ… 続きを読む

鈴木安太郎

〔人物〕明治28年4月26日、鈴木米太郎長男として、寒河江市下西小路に生まる。祖父彦兵衛までは大工の棟梁であった。父米太郎は山形の小林倉治について木地を学んだ人。安太郎は明治40年ころから父米太郎について木地を習得、市の… 続きを読む

南條九十治

〈鴻・3〉や深沢要遺稿集〈こけし手帖・46〉に、山形市旅籠町出身で作並で木地を挽いた南條九十治という木地屋がいて、小林倉治を養子にしたとあり、倉治は山形に帰ってから小林姓に戻したと書かれている。 また、小林倉吉が書いた「… 続きを読む