タグ別アーカイブ: 佐藤三治

大津広喜

明治38年5月2日、山形県飽海郡南平田村(現平田町)山谷に生まれる。同郷の尾形政治のつてで、19歳のとき肘折の最上木工場へ入った。遠刈田から来ていた佐藤三治の弟子となり、木地を習った。昭和3年、最上木工場の将来に見切りを… 続きを読む

小野寺鉄蔵

山形県最上郡金山町の人。大正7年山形県の木地講習会が金山で開催され、鉄蔵の家が会場になった。この講習会には佐藤三治、菅原富蔵も参加した。金山は及位の隣の町であり、おそらく三治、富蔵は及位から指導に参加したのであろう。 ま… 続きを読む

佐藤誠次

〔人物〕 明治35年5月2日、遠刈田新地の佐藤文治、はるの三男に生まれた。佐藤丑蔵は長兄、三次は次兄であり、佐藤文六は叔父にあたる。大正2年13歳のとき、及位の叔父文六のもとへ行って、雑用を手伝ったが、このときにはまだ木… 続きを読む

佐藤丑蔵

〔人物〕明治22年3月4日、宮城県刈田郡遠刈田新地の佐藤文治、はるの長男に生まれる。三治、誠次は弟。15歳のとき、青根の丹野倉治方で職人をしていた叔父佐藤文平について約一年間木地を習ったが、その後二年間は木地挽きに従事せ… 続きを読む

尾形政治商店

明治33年ころから昭和25年ころまで山形県最上郡大蔵村肘折温泉で営業し、土産物、木地製品、玩具、こけし等を扱った商店。昭和4年までは木地工場も経営し、多くのこけし工人がここで働いた、 尾形政治は、慶応元年山形県飽海郡南平… 続きを読む

佐藤三治

〔人物〕 明治30年9月10日、遠刈田新地佐藤文治・はるの次男に生まれる。佐藤丑蔵は長兄、佐藤誠次は弟である。明治43年4月丑蔵について山形県肘折に移り、肘折小学校に編入、同時に肘折にいた叔父の佐藤文六について木地を学ん… 続きを読む

奥山喜代治

〔人物〕 明治38年3月3日、山形県北村山郡大久保村(現村山市)大原の農業篠沢金蔵、いしの三男として生まれた。〈こけし辞典〉では父の名を篠原金蔵としているが篠沢が正しい。大正10年6月17歳のとき肘折へ行き、同郷大原出身… 続きを読む