タグ別アーカイブ: 菅原直義

大沼宜輔工場

戦後、昭和20年代はじめから昭和30年代終わりまで、鳴子湯元の坂に面して土産物店を開業していた大沼宜輔が経営していた木地工場。湯元の坂を登る左手、現在の鳴子ホテルの通用口の向かい側にある大沼薬局の前身が宜輔の土産物店であ… 続きを読む

阿部賢作

〔人物〕詳細不詳。昭和20年代から30年代にかけて松田初見の弟子となり木地を挽いた。こけしも製作したが、おそらく製作期間は短く、残る作品は少ない。  昭和22年の〈がらがら・5号〉に大阪の中島米荘による鳴子の阿… 続きを読む

菅原直義

〔人物〕昭和8年2月20日、鳴子自由業菅原直治・ことぢの三男に生まる。昭和23年3月鳴子中学校卒業後、昭和24年8月より鳴子の大沼宜輔工場で松田初見より木地を習った。昭和28年7月よりこけしは製作している。昭和33年頃大… 続きを読む

山下洋

〔人物〕昭和18年1月15日生まれ。昭和33年に鳴子の大沼宜輔の工場に職人として入り、木地を修業した。先輩職人に菅原直義がいて、そのこけし作りに学んで洋もこけしを作るようになった。 ただ製作期間は短く、昭和37年ごろに転… 続きを読む

松田初見

〔人物〕  明治34年9月15日、鳴子の松田喜三、くのの長男に生まる。父喜三は栗原郡一迫町の出身であったが、鳴子に移り住んで力仕事の労務に従事していた。母くのは柴崎丑次郎の姉にあたる。 明治45年12歳のとき秋山忠に弟子… 続きを読む