高梨栄治

〔人物]明治33年11月27日、宮城県弥治郎の木地業高梨栄十郎・むきのの長男として生まれた。栄十郎(通称寅五郎)は明治35年むきのと離別し、後妻すてを迎えた。しかし、栄十郎およびその兄高梨栄五郎は大正5年に弥治郎で流行っ… 続きを読む

高橋仁

〔人物〕昭和10年7月10日、山形県上山に生まれた。学業終了後、明治乳業に就職し、上山、天童の工場に勤務した。昭和41年結婚を機に、自ら技術を身に着けることを決意し、昭和42年末より翌5月までの期間に、鳴子の早坂隆につい… 続きを読む

遊佐博章

〔人物〕昭和38年に生まれた。父の実家の二軒先が、伊藤松一の妻女よし子の実家だった縁で、松一方に入門し、昭和59年から63年まで足掛け5年間、木地の修業を行った。 平成元年に自らのロクロを設置して独立開業した。鳴子ダムに… 続きを読む

五十嵐友里

〔人物〕 昭和56年5月30日に井上四男(よつお)、令子の二人兄弟の長女として、湯沢市三梨村下宿に生まれた。祖父母の周治、ミヨとは同居して育った。平成11年3月に秋田県立湯沢北高等学校を卒業後(閉校・統合で現在は秋田県立… 続きを読む

小椋吉左衛門

小椋五郎左衛門の子。戸籍表記吉左エ門。信州で生まれた。文政元年、父五郎左衛門とともに宮城県加美郡中新田門沢山に移り、さらにニ、三年後には秋田県雄勝郡大川目山(木地山の北北東約7km)に渡り、初右衛門系と合流した。ここで文… 続きを読む

山田儀右衛門

〔人物〕秋田県仙北郡西木村檜木内の木地師。儀右衛門は屋号で代々家督がこの名で呼ばれる。初代儀右衛門は八太郎といい、天保年間の生まれ、加賀出身と言う。安政三年頃より檜木内に移り、木地業に従事し、南部系のキナキナを作った。初… 続きを読む

田島木工伝習所

大正8年7月より10月まで、福島県南会津郡田島町(現在の南会津町)に県と町の共設の木工伝習所として開設され、遠刈田より佐藤豊治、佐藤円吉らが木地の部門の講師となって技術の指導を行った。木地部門の弟子は6名ほどと言われてお… 続きを読む

全国特産品製造家便覧

日本物産奨励会 が編纂し、日本の県別特産品をまとめた便覧で、大正8年に上巻、大正10年に下巻が、また更に大正13年版と三回にわたって広報通信社より刊行された。刊行の趣意として下記のような記述がある。 「どこの国に何という… 続きを読む

渡辺光代

〔人物〕昭和29年10月3日、鳴子町川渡名生定字木戸脇の農業吉岡孝一の次男に生まれた。川渡中学校を卒業後に大工となったが、20才の時に腰を痛めたため、実家において農業を手伝うようになった。昭和60年に健康を回復し、こけし… 続きを読む

こけしのアフォーダンス

アフォーダンス(affordance)とは、アメリカの知覚心理学者ジェームズ・J・ギブソン(James Jerome Gibson)によって定義された造語で「環境が動物(人間)に対して与える”意味”」… 続きを読む