タグ別アーカイブ: 佐藤吉雄

佐藤吉雄

〔人物〕明治42年12月20日、宮城県栗原郡島矢崎村字中野田町前に、菅原東治、みよしの三男として生まれた。菅原庄七は実兄で、東治、みよしの二男にあたる。 昭和5年ころから秋保の佐藤三蔵について木地の修業を始めた。秋保の佐… 続きを読む

塩野惟信

生年月日、出身地不明。大正7、8年頃より秋保の佐藤三蔵に弟子入りし、木地挽の修業を行った。〈こけし手帖・33〉の深沢要遺稿集によると菅原庄七、山尾武治に次いで入門したという。さらに弟弟子として山尾春吉、毛利政治、佐藤吉雄… 続きを読む

佐藤子之助

〔人物〕明治24年ころ宮城県柴田郡前川村(青根)の木地師佐藤久吉・りんの次男に生まれた。長兄は久助、弟に久蔵がいる。父久吉について木地を修業、こけしも作ったといわれる。明治45年ころ秋保へ行って佐藤三蔵の職人となった。子… 続きを読む

佐藤三蔵(秋保)

〔人物〕明治12年5月10日、仙台市生出村坪沼の郡山佐平の次男に生まれた。明治21年10歳の時、秋保村湯元字薬師の農業佐藤卯平治の養子となった。明治28年17歳のとき太田庄吉(秋保出身)に弟子入りした。〈こけしの追求)に… 続きを読む

秋保

宮城県名取郡秋保町湯元。飯坂・鳴子と並んで奥州三名湯に数えられ、伊達家の御入湯場であった。 秋保のこけし作者は秋保の大工太田庄之助の長男太田庄吉が最初で、明治27年ごろといわれる。木地は最初に芋沢にいた今野新四郎について… 続きを読む

佐藤武雄

〔人物〕 大正3年6月22日宮城県秋保の佐藤三蔵、よしの長男に生まれる。小学校卒業後、昭和元年ころから父三蔵につき木地修業を開始した。この頃三蔵の仕事場では弟子の菅原庄七が働いていたので、実際の指導は庄七によるところが大… 続きを読む