タグ別アーカイブ: 小椋養治

小椋慶次郎

〔人物〕 明治33年9月20日、秋田県雄勝郡大館の木地業小椋運治の次男として生まれる。長兄は小椋啓太郎、弟に与三郎がいた。父運治の兄は養治で、養冶の長男が泰一郎であり、慶次郎と泰一郎は従兄弟にあたる。 長男啓太郎は運治の… 続きを読む

小椋運治

明治2年6月2日、小椋勇右衛門の三男として雄勝郡皆瀬水上沢木地山に生まれた。長兄の養治は小椋泰一郎の父である。 父の勇右衛門より木地を学び、明治30年ころ、川連大館へ下った。菊模様のこけしを作った。 大正8年51歳で没し… 続きを読む

小椋初右衛門

秋田県に異動して来て木地山を形成した初右衛門一族は代々初右衛門を名乗る者が多い。久米之丞初右衛門は飛騨より会津立岩郷木賊山に移り、文化5年頃仙台側より羽後大川目山に渡り、加美郡中新田から来た小椋吉左衛門の一族と合流した。… 続きを読む

小椋泰一郎

〔人物〕明治22年4月20日、秋田県雄勝郡高松村120(水上沢木地山)小椋養治、カヤの長男に生まれる。父養治は小椋勇右衛門の長男で、代々初右衛門を名乗った。カヤは小椋利左衛門(吉左衛門の長男)の長女であり、カヤの母ナツは… 続きを読む

小椋養治

安政3年8月15日、小椋勇右衛門の長男として、皆瀬木地山に生まる。養治の家は初右衛門本家で養治も後に初右衛門と呼ばれた。妻は勇右衛門の兄利左衛門娘カヤである。長男が泰一郎で、長女ヨシは佐藤留治に嫁し、佐藤兼一を生んだ。 … 続きを読む

佐藤留治

〔人物〕 明治4年秋田県小安温泉に生まれる。雄勝郡の水上沢より明治31年に川連大館におりてきた木地師小椋養治(小椋泰一郎の父)は、時々山仕事で小安の奥に入り、小屋をかけて椀木地を挽いていた。 留治はそうした折に養治につい… 続きを読む

佐藤兼一

〔人物〕 明治38年4月20日、秋田県川連大館八右衛門屋敷の佐藤留治、よしのの長男に生まれる。父の留治は椀挽き専門の木地師であったがこけし作者ではない。母よしのは小椋養治の長女で、小椋泰一郎の妹にあたる。 大正6年13歳… 続きを読む