タグ別アーカイブ: 村井福太郎

第5回内国勧業博覧会

明治36年3月1日~7月31日に大阪市天王寺今宮で開催された第5回目の内国勧業博覧会。日清戦争の勝利により産業が活性化し市場が拡大していたこと、および鉄道網がほぼ日本全国にわたったことなどにより、会期153日、入場者数4… 続きを読む

長谷川辰雄

〔人物〕明治38年1月14日、青森県南津軽郡山形村大字板留字宮下の木地師佐々木金助の三男として生まれる。明治39年、養子に行って大鰐の農業長谷川甚太郎の弟となり、甚助と呼ばれるようになった。そのためこけし収集家橘文策が注… 続きを読む

村井操

〔人物〕  大正元年11月11日、青森県南津軽郡大鰐村湯野川原の木地業村井福太郎の四男に生まれる。昭和2年大鰐尋常小学校を卒業。兄の久雄、鉄雄、猛雄が相次いで早世したので、操が木地業を継ぐことになり、昭和8年22歳より父… 続きを読む

村井福太郎

〔人物〕 明治15年3月15日、青森県南津軽郡蔵館村の木地業村井伊三郎の二男に生まれる。代々萬太郎を家名とし、祖父の萬太郎(慶応3年没、48歳)の後、父伊三郎も萬太郎を襲名した。村井家は蔵館の古い居木地師の家だといわれて… 続きを読む

嶋津誠一

〔人物〕 昭和5年11月4日、青森県南津軽郡蔵舘町の木地業嶋津彦三郎の長男として生まれる。署名に島津と書くことも多いが、嶋津が正しい。昭和22年3月弘前工業高校卒業後、父の彦三郎について木地の修業を始めた。主にづぐり(雪… 続きを読む

阿保六知秀

阿保六知秀

〔人物〕昭和25年4月14日、青森県黒石市大字花巻に生まれる。 現在も同所で阿保こけしやを構え、息子の正文とともに、こけしや干支人形などを製作する。 昭和40年黒石市東英中学校3年の時に佐藤善二が指導するこけしクラブに入… 続きを読む