タグ別アーカイブ: 武田卯三郎

小林吉次

明治14年8月6日、小林倉治五男として山形市に生まれた。明治25、6年から4年間米沢の小間物問屋に丁稚奉公に出さ、帰郷後父の倉治に就いて木地を修業した。弟吉三郎によると香具師(露天商)の仲間に入り、各地を売り歩いたという… 続きを読む

武田卯三郎

〔人物〕明治27年7月8日、山形県東村山郡津山の武田春吉、フクの長男に生まれた。父の春吉は東村山郡高瀬村切畑の神尾家より武田家へ養子に入った人。母のフクは卯三郎が5歳の時に亡くなったので、父春吉は実家に帰り神尾姓に戻った… 続きを読む

神尾長八

〔人物〕明治30年5年30日、天童市久野本神尾長三郎次男に生まる。父の長三郎が山形の小林倉治の弟子であった縁により、明治43年に長八は倉治の長男である山形の小林倉吉に弟子入りした。父の長三郎は大正6年9月に亡くなったが、… 続きを読む

神尾長三郎

〔人物〕弘化2年10月7日、山形県北村山郡東郷村大字泉郷の農業神尾長三郎長男としてに生まる。神尾家は代々長三郎を名乗っていた。明治11年34歳のころ、山形の小林倉治に入門し木地挽きを修業した。長三郎の妻は北村山郡沼沢村出… 続きを読む

武田信吉

〔人物〕大正13年9月23日、武田卯三郎二男として天童市に生まる。昭和5年父卯三郎は機業が盛んであった米沢に移って木地工場の職人となった。昭和7年信吉は家族と共に父卯三郎のいる米沢市に移り市内桜木町(当時の町名は桶屋町)… 続きを読む

高橋コウ

〔人物〕昭和8年5月9日、山形県米沢市の武田卯三郎、リオの三女に生まれる。武田信吉、武田正志は兄にあたる。天童市の高橋家に嫁いでいたが、兄の信吉の指導を受けてこけしの描彩を行うようになった。昭和59年より高橋コウ名義で作… 続きを読む

橋本力蔵

〔人物〕明治36年12月8日、山形県南村山郡堀田村成沢の農業橋本清吉、ていの六男に生まれる。兄弟は七人。大正6年15歳で蔵王高湯の緑屋斎藤源吉の弟子となり木地の修業を始めた。その後、昭和8年31歳まで緑屋の職人を勤めた。… 続きを読む

武田正志

〔人物〕昭和5年7月9日、山形県米沢市大町のこけし工人武田卯三郎の三男に生まれる。武田信吉は次兄、コウは妹である。米沢商業学校卒業後、昭和23年より米沢市住ノ江町の父の工場で、卯三郎について木地の修業を始めた。昭和28年… 続きを読む