タグ別アーカイブ: 竹野銀次郎

笹沼兼吉

明治7年10月7日、山形市旅篭町の小林倉治二男に生まれた。南山学校(寺子屋)で学んだ。幼少のころから父倉治について木地を修業した。こけしが上手で盛んに作ったという。明治24年、阿部常松が一人挽轆轤の技術を伝えたが、明治2… 続きを読む

阿部常松

〔人物〕明治元年1月11日(戸籍による)、福島信夫郡土湯村下ノ町の阿部吉弥の四男に生まれる。長兄の阿部熊治郎に木地を習い、二人挽きを習得した。弟の五男末松も木地を学び、福島の小幡文助の養子となった。常松は寅治郎(でぶ寅)… 続きを読む

荒木千代一

山形県鶴岡の生まれ。竹野銀次郎について木地を習得した後、箱根にて修業した。〈こけし手帖・25〉の深沢要遺稿集によると、「大正11年帰郷後、こんなものを作ってくれとの、商人の依頼により、少量のこけしを作ったに過ぎない。もち… 続きを読む

秋山慶一郎

〔人物〕    明治23年10月15日、宮城県遠田郡涌谷の商業秋山清八郎、らんの三男に生まれる。長兄は秋山耕作、次兄は秋山忠である。明治31年一家は鳴子に移った。小学校時代同級生に同名の者が… 続きを読む

五十嵐嘉行

〔人物〕  昭和2年6月1日、鶴岡市本町二丁目の石材業、五十嵐嘉吉の長男として生まれる。昭和27年鶴岡市内の木地師伊藤佐太郎より木地挽きを習い、茶道具等の木地玩具を丸金商店をはじめ地元の民芸店で売り出す。昭和5… 続きを読む

竹野銀次郎

〔人物〕 明治13年鶴岡に生まる。同市大宝町で木地業を営んだが、師匠、こけし製作の有無などについて問題の多い工人である。〈こけしと作者〉には、未亡人と息子鉄太郎の話として、温海の阿部常松に師事し、仕事振りはきわめて厳密で… 続きを読む

平塚弥三郎

鳴子高橋亀三郎の弟子。山形県出身。大正初年高亀に入り木地を習得した。武男の話によれば「こけしを描くまでにならなかった」という。高亀をやめると鶴岡の竹野銀次郎の職人となった。大正13年没。詳細の経歴は不明。 こけしを作った… 続きを読む