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高橋勘七

深沢要著〈こけしの追求〉に鳴子高野幸八の弟子として紹介された。伊藤松三郎談によると「山形方面の人で明治37、8年ころ高野幸八の弟子になったが、わずかの期間でやめた」という。こけし作者であったかどうかは不明である。

高野幸八

〔人物〕  明治2年10月8日、宮城県玉造郡鳴子村の塗師高野幸作・登(と)よの八男に生まれる。父幸作は旅館業高野四郎作の三男、母とよは高橋万右衛門(現鳴子ホテル)の次女。明治21年4月の沢口吾左衛門文書には高野… 続きを読む