大沼みつを(おおぬまみつを:1904~1965)
系統:鳴子系
師匠:大沼竹雄
弟子:大沼秀雄
〔人物〕 明治37年9月6日、川渡の結城正蔵の長女として生まれる。
昭和3年、鳴子の大沼竹雄と結婚、以後竹雄や義弟正雄の木地に描彩、合作もあるという〈こけし辞典〉。
なお、正雄は描彩は行わず、みつをは木地を挽かなかった。
昭和15年1月5日竹雄と死別し、戦後、次男秀雄が岡崎才吉(戸籍表記は斉吉)の弟子となって独立すると、秀雄に描彩を教え、自らも描彩を復活した。
昭和40年4月24日、鳴子の自宅にて没。享年62歳。
〔作品〕 戦前のみつを描彩のこけしは竹雄作の中に混入しているかもしれないが確定されたものはない。戦後は昭和33年頃より39年頃までの作品が残っている〈こけし辞典〉。
面描は決して女性的ではなく、一家のうちで最も毅然とした表情であった。
〔伝統〕 鳴子系岩太郎系列。竹雄が早く亡くなったため直接習う機会の無かった秀雄にその伝統を繋げた。
参考)『2012.5.13 こけし談話会「大沼竹雄のこけし」』〈こけしのなかのわたし〉
参考)「第630夜:昭和30年代の秀雄こけし(2)」〈こけし千夜一夜物語〉