淵上澄人

淵上澄人(ふちうえすみと:1987~)

系統:津軽系, 鳴子系

師匠:本田功

弟子:

〔人物〕 昭和62年8月21日、独立行政法人勤務、父の貴佳(きよし)、優子の二人兄妹の長男として広島県広島市で生まれる。父の転勤が何度かあり兵庫県姫路市に住んだ事もあったが、埼玉県で長く暮らした。浦和学院高等学校では弓道部に入部して二段にまで昇格した。宇都宮大学工学部機械システム工学科入学、現代音楽研究会のサークルに入りエレキベースを弾いていたが民族音楽に興味を持ち深く傾倒した。現在もオーストラリア大陸の先住民であるアボリジニの民族楽器であるディジュリドゥやアイヌのムックリを趣味として演奏している。大学を休学して自転車で日本中を走り、兵庫県の刀鍛冶工場、秋田県の曲げわっぱ工房に出入りし魅力ある民芸や伝統工芸品と出会った。平成25年3月大学卒業後に図書館司書として栃木県市貝町、下野市、宇都宮市などの図書館にて勤務した。令和元年6月に岡本明莉(あかり)と結婚。この時期は休日に益子焼きの工房でろくろを習い、登り窯の窯焚きの手伝いを一年程行ったが、新型コロナウイルス感染症の蔓延で行動が制限され中断した。
 師匠となる本田功との出会いは令和2年8月、宇都宮市立上河内図書館でワークショップの講師として功を迎え、独楽の回しかたを子供達に教えてもらったことに始まる。親交を深め4年間工房を訪れ、徐々に木地の挽き方も教えて貰った。意を決し弟子入りを懇願して令和6年6月12日より正式に師事した。弟子入りと共に仕事後にほぼ毎日、功の工房で木地修業を行っている。尚、轆轤は令和6年6月26日に師匠から紹介された業者から購入し、本田功の工房に設置した。
 現在は主に独楽を作っている。吊りゴマ、二段吊りゴマ、大山ゴマ、逆立ちゴマ、追いかけゴマ、逆立ちゴマのこけし、えじこ、ぐい呑み、蓋付入れ物などレパートリーは広がっている。今後は実用品の中にある美しさを追求する「用の美」を意識して盆、茶筒等にも取組みたいと語る。
 令和6年12月に開催された「第43回みちのくこけしまつり」の木地玩具の部に出品して出品者名簿に氏名が掲載されている。それによると審査品に二段吊り独楽、即売品に吊り独楽、えじこ、逆立ち独楽のこけしを出品している。出品作には名前に加えて、日光と署名した。「日光」と書いたのは高瀬善治の師匠、小林弥七が日光木地師だったこと、本田功が奥日光で7年程木地玩具を制作したことへの尊敬と憧憬の念である。こけしの習作には旧地名の「上河内」、或いは「宇都宮」等書いている。こけしは習作を重ねているが令和7年3月の大阪こけし教室で初作の川越謙作型が特別頒布される予定である。
 師匠の本田功は昔のようにスパルタ式では教えず、本人の自主性に任せているとの事である。仕事が終わってからの修業は心身共にきついであろうが、毎夜、師匠の工房に来て遅くまで轆轤を回している熱心さに驚いている。功にとって長谷川建三、小林和正、白川晴美、猪頭新太郎、本田英司、本田陽子に次ぐ7人目の弟子であり最後の弟子になるかもしれない。単なるこけし工人ではなく、本田師匠を目標に本格的な木地師になる事を目指している。 前述のように木地専業ではなく、平日は仕事をしているので量産は利かない。注文してから完成までには十分な納期が必要である。

淵上清人

淵上澄人

〔作品〕師匠本田功のこけしをベースに工夫を加えたこけしを作る。


〔右より えじこ 8.4㎝(令和6年11月作)、ひねり独楽7個と容器〕10㎝(令和6年12月作)、逆立ち独楽のこけし 14.6㎝(令和6年12月作)、逆立ち独楽のこけし 胴7㎝ 頭5.3㎝(令和6年12月作)〕


〔右より 高瀬型10.6㎝(令和7年2月習作)、高瀬型12.4㎝(令和7年2月習作)、川越謙作型12㎝(令和7年2月習作)、川越謙作型12.2㎝(令和7年3月初作)、川越謙作型12㎝(令和7年3月初作)〕

系統〕ベースは津軽系と鳴子系(高瀬型は鳴子系、謙作型は津軽系)

 

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