菅野実

菅野実(かんのみのる:1930~)

系統:土湯系

師匠:陳野原和紀

弟子:

〔人物〕土湯の菅野実は仙台市で遠刈田一般型や木下駒を制作した工人とは同名異人である。菅野実は昭和5年、福島市土湯温泉杉ノ下に生まれた。昭和46年頃より陳野原和紀に就いて木地修業をし、47年頃から経営していた飲食店、谷間(たにま)で若干のこけしを販売した。その後、奥さんにバー・アムールを任せ、自らは巨峰の観光葡萄農園と女沼の近くにいわなの釣り掘り経営をしていた。子供がいなかったので奔放な生活を楽しんでいたらしい。
 写真のこけしは昭和48年2月2日に福島談話会の会長、丹治道孝氏が一杯やるために偶々入店した土湯温泉の「谷間」で菅野実から購入したこけしである。丹治氏はその時に師弟関係や仕事の事を聞き取りメモが現在も残っている。土湯の菅野実のこけしの事は「全工人の栞」(清水寛著)、「東北のこけし」(高井佐寿著)には未掲載、他の文献でも見たことがない。 陳野原幸紀工人に確認すると間違いなく兄の弟子だったが、多角経営で忙しく、こけしは余り作らなかったと記憶しているとの事だった。
 アサヒ写真館の佐藤一弘氏によると当時としては最新式の轆轤を据え付けたが、一時期しか作らなかったようなので、土湯でも出回っていなかったとの事である。正確な没年は不明であるが、平成の後期に逝去されたとの事である。先に奥さんが亡くなり子孫はなく、親類が墓じまいをしたらしい。
なお、仙台のこけし工人菅野実とは同名異人である。

〔作品〕 こけしは土湯一般型で可愛い面描であるが、媚びやくどさは感じず素直な表情に見える。 こけし製作期間はみじかかったと思われるが、陳野原和紀の弟子として商品として販売されたこけしであるので、資料として経歴とこけし写真を掲載する。


〔31.0㎝(昭和48年2月入手)(中根巌)〕

〔参考〕 中根巌:「木でこ」第264号(令和8年1月11日名古屋こけし会発行)

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