佐藤重一

〔人物〕昭和11年9月7日、宮城県柴田郡川崎町青根の土産物、挽物業の佐藤貢の長男に生まれた。 昭和30年より父貢につき木地挽きを修業、このころより旧型こけしを製作。昭和32年、遠刈田中学校卒業後も継続して木地を挽いていた… 続きを読む

福田良助

〔人物〕 明治32年ころの生まれ(推定)。大正2年15歳ころ横手の浅利製材工場で働いていた大沼熊治郎(鳴子出身・昭和4年没)につき木地を修業。熊治郎は横木専門であったため、玩具やこけしを作らなかった。その後、熊治郎は良助… 続きを読む

横山仁吉

山形県肘折温泉の横山仁右衛門商店主で、横山木工場を経営した人。 明治11年山形県最上郡大蔵村肘折温泉の旅館業横山仁右衛門(屋号:朝日屋)の長男として生まれる。日清戦争に従軍、帰還後の明治29年に母親が病気により失明し、旅… 続きを読む

土屋佐次兵衛

〔人物〕 昭和16年9月6日山形県南置賜郡三澤村小野川の農業土屋栄長男として生まれる。昭和32年米沢市立三沢東部中学校卒業後、加藤政義より木地を習い新型及び近代こけしの木地下を挽いた。昭和48年頃より小野川温泉のつたや工… 続きを読む

尻替玉

馬具の一つ。通称、管(くだ)と言って馬の尻尾の捌きを良くするために使われた。尻がい玉ともいう。馬の尾の下を通して両端を鞍に付ける。 尻替玉作りは、ロクロの工法と刃物の扱いの習得になるので、戦前には鳴子はじめ各産地で、弟子… 続きを読む

小浜子守地蔵尊

福島県二本松市小浜宇反町にある万人子守地蔵尊。子どもの守り本尊として「子地蔵尊」を貸し与える風習があり、子地蔵を里帰りさせ、新たに祈祷を受けるために、5月3日~5日の例大祭には 多くの参詣者が訪れにぎわう。発祥の時代はつ… 続きを読む

第1回内国勧業博覧会

明治10年8月から11月30日にかけて、上野の寛永寺本坊跡に建てられた煉瓦造の美術館を中心にして開催された博覧会。初代内務卿大久保利通の提案により、内務省の主導で開催された。 明治政府は明治6年のウィーン万国博覧会に初め… 続きを読む

佐藤一男

〔人物〕昭和6年3月11日、福島県土湯温泉町下ノ町のアサヒ写真館佐藤兵七、サ生(さい)の長男に生まれた。祖父は佐藤嘉吉。学業終了後福島市内の写真館に弟子入りし、3年間住み込みで技術を習得した。その後、土湯の実家の写真業を… 続きを読む

早坂彰康

〔人物〕昭和8年7月26日、宮城県加美郡東小野田町農業早坂善五郎・あきよの三男に生まる。新制中学卒業後、昭和27年9月より岡崎斉司の弟子となり、昭和33年まで修業、年期明け後も岡崎の職人として勤めた。〈こけしガイド〉で紹… 続きを読む