カテゴリー別アーカイブ: 作並系

鈴木清

〔人物〕明治30年4月20日、山形県高畠町字川沼の農業鈴木清吉、かねの三男に生まれた。屋代尋常高等小学校卒業、東京の成城中学校中途退学した後、大平洋画塾にてデッサンを学び、さらに中島醴泉画伯につき日本画を学んだ。 一時米… 続きを読む

岩松直治

宮城県作並の木地師岩松直助の息子、おそらく長男と思われる。弟もいたが、弟は明治10年5月10日に、直治は明治11年9月12日に亡くなっている。舎弟は西南の役(西南戦争)に従軍し、そのための死であったと言われている。 過去… 続きを読む

槻田與左衛門

〔人物〕万延元年11月6日、宮城県宮城郡作並村25番地の農業槻田逸三郎、ひての三男に生まる。長兄に吉三郎、次兄に利三郎がいた。師匠は定かではないが、生家の母屋の片隅にロクロを据えて木地を挽き、こけしや玩具を作っていたとい… 続きを読む

岡崎武

〔人物〕昭和11年10月28日、岡崎丑松の二男として台湾に生まれる。昭和21年に日本に戻ったが、翌22年に両親を亡くした。昭和29年に身体を壊したが昭和37年27歳のころから遠刈田の木工所で働くようになった。主にテーブル… 続きを読む

佐藤政史

〔人物〕昭和14年1月17日、仙台市の朝日新聞記者佐藤太郎、やちよの次男に生まれた。鈴木昭二の妻みさほの弟にあたる。中学枚卒業とともに昭二につき木地を習い、5年間昭二の木地下を挽いていた。その後木地業を中止、その後仙台市… 続きを読む

里見正雄

〔人物〕大正11年1月24日、仙台市福沢の鉄道員里見久作、さつのの長男に生まれた。 仙台市宮城野小学校をへて昭和12年図南中学校卒業、鉄道員となった。徴兵により水戸の航空通信隊に入隊、樺太をへて北海道帯広にて終戦除隊とな… 続きを読む

里見正博

〔人物〕 昭和23年11月4日、宮城県仙台市原町南目町のこけし工人里見正雄の長男に生まれた。昭和42年高等学校を卒業、昭和43年一家は宮城県仙台市青葉区芋沢に新居と工場を建てて転居した、正博は一時会社員勤めをして家から離… 続きを読む

南條徳右衛門

徳右衛門の名前が出たのは〈鴻・3〉および〈こけし手帖・33〉で、いずれも山形小林倉治が木地を習った作並の師匠としてである。但しこの時、姓は岩松で岩松徳右衛門となっていた。 高橋五郎の追求で「萬挽物扣帳」(岩松直助文書)が… 続きを読む

小林倉治

〔人物〕弘化2年11月23日、山形市旅籠町の紅屋清蔵の二男としてに生まれる。実家は本来小林姓であったが旧城主最上家と因縁のある小林姓は使いづらく、屋号で名乗っていたらしい。祖父は塩肴漬物商で鹽屋、父清蔵は紅花商を営み、紅… 続きを読む

二瓶豊

〔人物〕生年月日、没年月日不詳。 仙台市のこけし工人で玩愚庵を経営した鈴木清の妻女峰子の従弟にあたる。仙台市八幡町石切に住んで、建設会社橋本組に勤務していた。戦後一時、鈴木清について木地を学び、自分の名義でこけしを店に並… 続きを読む