カテゴリー別アーカイブ: 山形系

鈴木秀斉

〔人物〕鈴木秀斉は昭和2年生まれのこけし工人で、日下源三郎の弟子として山本吉美により〈伊勢こけし会便り・5〉誌上で紹介された。またその名前は清水寛〈こけし全工人の栞〉、高井佐寿〈伝統工芸 東北のこけし〉にも見える。紹介の… 続きを読む

小林吉次

明治14年8月6日、小林倉治五男として山形市に生まれた。明治25、6年から4年間米沢の小間物問屋に丁稚奉公に出さ、帰郷後父の倉治に就いて木地を修業した。弟吉三郎によると香具師(露天商)の仲間に入り、各地を売り歩いたという… 続きを読む

笹沼兼吉

明治7年10月7日、山形市旅篭町の小林倉治二男に生まれた。南山学校(寺子屋)で学んだ。幼少のころから父倉治について木地を修業した。こけしが上手で盛んに作ったという。明治24年、阿部常松が一人挽轆轤の技術を伝えたが、明治2… 続きを読む

小林広友

〔人物〕昭和26年8月12日、米沢市東大通りの小林友次、キクエの次男として生まれた。家業が木地屋であったので、父の友次、兄の泰造の指導の下に木地を挽くようになった。主に木地下を挽いており、描彩はほとんどしていないと思われ… 続きを読む

武田弘

山形市鈴川村印役の出身。小林倉吉の弟子だが、こけしは挽かない。大正8年頃に及位の落合滝の木工所で伊藤泰輔、神尾長八、柏倉勝郎、深瀬国雄、大宮安次郎、渡辺幸九郎などと一緒に働いたことがある。生没年その他詳細不明。なお兄の武… 続きを読む

斎藤虎蔵

従来、斉藤虎丸の名で伝えられたこともあったが虎蔵が正しい。明治32年頃、山形市地蔵町の水口屋(山形県の醤油醸造元)に生まれた。山形市小橋町時代の小林吉太郎の弟子で、大正6年に吉太郎とともに米沢に移り、年季が明けた以後も吉… 続きを読む

武田卯三郎

〔人物〕明治27年7月8日、山形県東村山郡津山の武田春吉、フクの長男に生まれた。父の春吉は東村山郡高瀬村切畑の神尾家より武田家へ養子に入った人。母のフクは卯三郎が5歳の時に亡くなったので、父春吉は実家に帰り神尾姓に戻った… 続きを読む

長岡要一

昭和10年、山形市小姓町の木地業長岡幸吉の長男に生まれた。昭和24年より父の幸吉について木地の技術を習得、小林吉兵衛様式のこけしの試作なども行った。ただその後本格的にこけし製作を行ってはいない。

武田仁兵衛

明治27年頃、山形県東村山郡鈴川村山家にまれる。大正元年19歳で小林倉吉に入門した。大正7年11月に年期が明けた。昭和14年の〈再版 東北の玩具〉では米沢の工人として紹介されている。兄弟弟子たちによると、仁兵衛は修業時代… 続きを読む

佐藤千代治

明治27年頃、山形県山辺町大字田小路に生まれた。明治39年8月山形市愛宕町の小林倉治に入門した。明治43年11月に年季明けし、12月仙台第2師団歩兵第2大隊に入隊した。大正2年12月除隊した後、小林家に7ヶ月間お礼奉公し… 続きを読む