〔人物〕 昭和50年4月12日に埼玉県大宮市(現・さいたま市大宮区)の会社員、中里國男、征江の次女として生まれる。平成12年3月大学卒業後社会人となる。社会人となり忙しく働いている時にこけしと出会い、その魅力に感動した。各地のイベントに出掛けて収集を行うなかで後継者不足問題の事を知るに及んだ。何かサポートしたく古い文献等を調べているうちに佐久間由吉の微笑こけしに感化され、作り手になることを決意した。令和元年9月から岩附義正に師事する。平成29年から岩附義正に師事している丸山伸一朗は兄弟子となる。令和6年12月、自宅近くに工房に轆轤を設置して本格的に自挽きこけしを制作している。
令和7年4月23日に土湯こけし工人組合員の前で轆轤実演を行った結果、土湯こけし工人として認められた。令和4年頃から岩附義正経由でこけし会に頒布されることもあったが、令和7年6月7日.8日に開催された「土湯こけし祭り2025」が実質的なデビューとなる。尚、丸山伸一朗、笹原綾も「土湯こけし祭り2025」で同時にデビューを果たした。
〔作品〕文献初出は「こけし手帳」744号(東京こけし友の会・令和5年1月号)で由吉風の面描に図案化された昆虫の胴模様が描かれている。次いで「木でこ」第262号(名古屋こけし会・令和7年9月発行)で紹介された。大学で美術関係を専攻していたので描彩にも冴えを見せている。由吉をオマージュして制作しているが忠実に写すのではなく、個性も重んじた本人型として制作している。丸山伸一朗同様に湊屋こけしの伝承者である。

〔左より えじこ(7.0cm)、二段だるま(7.5cm)、18.0cm、18.0cm、18.0cm、15.0㎝(令和7年)(中根)〕
〔系統〕土湯系湊屋系列