大宮正男(おおみやまさお:1923~2014)
系統:遠刈田系
師匠:佐藤好秋
弟子:平間勝治/大宮徹
〔人物〕 大正12年1月2日北海道旭川市の木材運搬業、大宮右膳長男として生まれる。昭和3年5歳の時、父の出身地である宮城県刈田郡遠刈田へ引っ越した。遠刈田尋常小学校卒業後は一年程度農業に従事、昭和13年に佐藤好秋の弟子となった。この頃好秋の工場には我妻吉助、同市助の他、好秋弟の友晴がいた。昭和17年には横須賀海軍航空技術廠に応徴、同19年には応召され満州及び北支を転戦した。終戦とともに復員し、6ヶ月程好秋の工場で働いたが、その後新地東裏で独立開業した。独立後は主に新型こけし・独楽等の木地玩具・旧型こけしなどを挽いた。弟の大宮徹に木地の指導を行った。昭和31年4月には妻の甥にあたる平間勝治が弟子となって木地を学んだ。昭和35年頃から50年頃まで輸出用のバドミントン工場の経営も行った。その後は旧型こけし専業となり平成15年頃までこけしを作り続け、平成26年4月26日老衰により没した、行年92歳。
〔作品〕 好秋の弟子時代より作っているが残る作品は割合少ない。変わり模様等は兄弟子にあたる佐藤友晴や我妻市助の影響を受けているのがわかる。戦後すぐの時期までは、吉郎平系列の剛直さを残した作品を作っていたが、やがて他の若手工人同様、当時人気のあった佐藤文助風の甘い表情となった。この傾向は昭和50年頃まで続いた。
下に紹介する写真は、橘文策旧蔵で戦後間もない昭和22年6月の作、甘さ少なく、同じ系列の作田栄利張りの表情である。かえって〈こけし辞典〉掲載の昭和15年作(久松保夫旧蔵)より格調の高い表情である。
〔右より 18.6cm、23.5cm(昭和22年6月)(橘文策旧蔵)〕
昭和20年代後半以降は、甘い表情の時代が続いた。とくに〈こけしガイド〉初版の頃は、目尻が下がって緊張感を欠いた作風だった。むしろ晩年になって、やや以前の表情に雰囲気を持ち直した。
下の写真は76歳の作品であるが、表情の甘さはなくなって、落ち着いた表情となっている。
〔伝統〕 遠刈田系吉郎平系列松之進家。後継者に平間勝治(妻の甥)がいる。弟の大宮徹にも木地を教えたというが、徹がこけし作者であったかは不明。