佐藤とも江

佐藤とも江(さとうともえ:1901~1947)

系統:遠刈田系

師匠:佐藤寅治

弟子:

〔人物〕佐藤とも江はこけし界では聞き慣れない名前である。遠刈田の工人佐藤護の姉であり、村上玉次郎の母にあたる。
 明治34年6月8日に遠刈田新地の佐藤寅治、「もと」の三女として生まれる。大正9年9月24日に村上蔵吉と結婚、そして「智子」名義で極少なこけしを残した。
 〈こけし全工人の栞・下〉(清水寛著)76頁には「佐藤智子」として以下のような記述がある。「生年月日不詳 佐藤寅治 よいの娘で遠刈田に生まれる。村上蔵吉の妻女であり、玉次郎の母である。本名とも江。夫の村上蔵吉は佐藤善八の弟子で盛町で死亡したので遠刈田に移った。その頃から息子の玉次郎も遠刈田を離れており、その間に兄の佐藤護の手ほどきをうけ、周治郎系列の木目胴模様のこけしを描彩した」
 この文章は二箇所の誤りがある。とも江の母の名前は「よい」ではなく「もと」、「護」は兄ではなく、弟である。とも江の生年月日と父母の名前は嘗て戸籍を調査した箕輪新一の報告による。こけしの写真は村上玉次郎に送り確認を取った。確認時、大正15年11月生まれの玉次郎は97才で元気であったが、やや記憶が曖昧なところもあったので、娘泰子の丁寧なサポートを得た。玉次郎は母とも江が描彩したことは知らなかった。お人好しで働き者の婦人だったらしく、「頼まれれば描いた可能性はあるだろう」と話していた。とも江は昭和22年3月5日に行年47才で他界した。

中央子供を抱く佐藤とも江

 とも江の写真は上掲の1枚だけが残っている。前列の中央がとも江、前列向かって右が玉次郎である。玉次郎の後方は玉次郎の兄拓也。後方、向かって左は村上留五郎。蔵吉の弟で、蔵吉没後、とも江と結婚した。とも江の抱いている赤ん坊と前列向かって左の少年は、とも江と留五郎の子で玉次郎の弟妹である。左の子供は村上啓二、昭和12年生まれ。後に兄玉次郎から木地を習得して、玉次郎の工房で働きこけしの木地を挽いたが、描彩はしなかった。
〈こけし全工人の栞‣上〉(清水寛著)「村上玉次郎」の頁、弟子の欄に啓二の名前が記載されている。玉次郎の子となっているが弟である。啓二は平成5年頃に亡くなっている。この写真は玉次郎が昭和18年東京工学院大学専修課を卒業した頃か、昭和19年予科練入隊前に遠刈田新地に帰郷した際の写真かと推測される。

〔作品〕 こけしは18.1㎝の木目模様で甘美な表情である。

〔18.1cm(昭和22年以前)(中根巌)〕

とも江は昭和22年3月に亡くなっているので、上掲の6寸はそれ以前の作、戦前の可能性もある。木目模様は佐藤直助の創作模様であり、その叔父の胴模様を描いた事が興味を引く。おそらく木地は弟の佐藤護と思われる。護も戦後、直助型を作った。智子名義の佐藤とも江は、「村上とも江」が正式な名前になると思われる。

〔伝統〕遠刈田系周治郎系列。

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