陳野原和紀(じんのはらかずのり:1929~1998)
系統:土湯系
師匠:斎藤弘道
弟子:陳野原幸紀
〔人物〕 昭和4年3月11日、林業陳野原健蔵、フジヱの長男として土湯に生まれる。弟の陳野原幸紀は健蔵五男である。
昭和18年3月土湯尋常高等小学校卒業後は山仕事に従事、その後鶴見の工場に勤務。
昭和39年4月土湯に帰り、飲食店「ひさご」(山菜料理、現在も幸紀が「味工房 ひさご」としてそば店を経営)を開業、かたわらパチンコ店も経営した〈こけし辞典〉。
昭和42年3月より43年5月まで斎藤弘道につき木地修業、同年4月に独立開業、5月より鹿間時夫の勧めにより佐久間粂松のこけしを復元、以降粂松型復元に取り組んだ。
昭和46年より弟の幸紀にこけし製作を指導した。
平成10年3月22日没、享年70歳。
なお、姓表記は〈こけし辞典〉その他で「陣野原」となっているものもあるが、「陳野原」が正しい。明朗な性格で粂松に似て草書体の速筆であったという。
〔作品〕 本人型として、昭和43年5月の初作の頃は弘道と佐藤佐志馬をつきまぜたような胴や渡辺定巳風の胴に紡錘形の目の童女面を描いた。昭和46年頃には黄帯に青井桁の可愛らしく派手な型を作った。〈こけし辞典〉
〔左25cm(昭和46年頃)、右30cm(昭和43年初期作)(山藤)〕
こけし辞典に掲載された昭和43年の粂松型はまだ本人型初作とフォルムなどに共通する点があり硬さも見られるが、その後、昭和50年代から平成にかけて大寸から小寸まで幅広く本格的な粂松型のこけしを作り上げた。せんだん巻きと称する粂松独特のロクロ模様の6寸は、〈福島のこけし〉にも掲載されたが、粂松型としては完成度の高いものだった。
原に忠実な復元とはいえ、窮屈さのない溌剌としたこけしを作ったことも、粂松のこけしに近い印象を与えている。
多彩な表情の粂松型をいずれも情味まで捉えて自己の表現としていた、稀有な作者であった。
〔右より 18.4cm、18.7cm(昭和50年5月)(橋本正明)〕せんだん巻きの粂松型
下掲は昭和15年春の粂松復活初期のものを復元した作品。
〔左32.5cm、中34cm(平成9年1月)、右33cm(山藤)〕
〔伝統〕
土湯系湊屋系列。
木地は斎藤弘道の技術を継承しているが、粂松型の描彩に関しては現物による見取りである。