陳野原幸紀(じんのはらゆきのり:1947~)
系統:土湯系
師匠:陳野原和紀
弟子:
〔人物〕 昭和22年12月5日、福島県土湯の農業陳野原健蔵・フジヱの五男に生まれる。長兄は和紀。以前から兄和紀のこけし製作を身近に見ていたので、こけしには興味があったが、昭和46年スキーで足を骨折したのをきっかけに、兄和紀について木地を学ぶことになり、やがてこけしの製作をはじめた。最初は、兄和紀が製作していた佐久間粂松の型に倣っていたが、やがて蒐集家が粂松の古作やその写真を持参して復元を依頼する様になり、各種の粂松型を作る様になった。味処ひさごの経営も行っている。
土湯こけし工人組合長、土湯温泉町地区自治振興協議会会長などを務めている。
〔作品〕 下掲の8寸は極初期のもので、兄和紀の粂松型を忠実に写していた時期のもの。
〔24.3cm(昭和47年)(橋本正明)〕
下掲は〈こけしの美〉原色版に掲載された玉山勇旧蔵の佐久間粂松の復元である。原物は尺5寸であるが、ほぼ同寸で復元、存在感抜群の快作である。
下掲は「こけしの会」の「こけし古作と写し展」のために製作されたもの。原物は橋元四郎平蔵の6寸4分。「写しは、この工人の抜群の技倆により、原作の保存のよさのせいもあって、並べてみても寸分の違いも感じさせないほどの傑作となった。」と橋元四郎平は〈木の花・24〉に書いた。
この時点から、幸紀は佐久間粂松の最良の後継者として認知されるようになった。
〔19.3cm(昭和55年)(橋本正明)〕粂松型 こけしの会「こけし古作と写し」展
その後、粂松型のほかにも製作範囲を広げ、平成になって若い層に愛好家が増えていくに連れて、その嗜好にも応えてマリンボーダーこけし やトンガリこけしなど新考案の型にも取り組む様になった。
平成30年鳴子の全国こけし祭りで東北経済産業局長賞を受賞したが、そのあと土湯の山道で犬の散歩中に熊に襲われて重傷を負った。入院加療し、ようやく復帰したが、下掲は東京こけし友の会で頒布された復帰後の作である。
〔伝統〕 土湯系。粂松型は湊屋系列。
〔参考〕