小林 はつえ(こばやし はつえ:1923~2011)
系統:山形系
師匠:小林清次郎
弟子:
〔人物〕小林はつえは戦後のこけし界を代表する工人のひとりである小林清次郎の妻である。写真のこけしは3本共、小林はつえの描彩こけしで胴底に「はつえ 57.9.23」と署名されている。山形の収集家、故・舟山達旧蔵品で保存が良くはつえ名義としては初作となる。はつえの略歴は「こけし手帳」359号(平成3年2月号・東京こけし友の会発行)の「清次郎夜話」の中に舟山が記述している。
はつえは山形県東村山郡山辺町に大正12年2月24日、馳尾(はせお)吉助・はるの四女として生まれた。昭和22年11月22日に小林清次郎と結婚。当時、清次郎は吉三郎型と鳴子の正面菊を描いたつぶし目のおみやげこけしを作り、菊花ははつえの方が上手だったので、おみやげこけしは面描・清次郎、模様描・はつえの合作こけしとの事である。清次郎が未だ吉太郎型を復元する以前の話である。昭和57年9月に描彩されたこけしの模様は菊模様と小林家伝来の梅模様である。面描はつぶし目と二側目を描き分けている。おとなしい可憐な表情であるが胴模様の菊と梅は慣れた筆遣いで頭部の描彩にも切れを感じる。はつえは平成23年10月19日88才で逝去した。清次郎より3年半早い他界だった。名工、清次郎を支え、訪ねて来る愛好家を優しく笑顔で接してくれる気遣いの人だった。息子の清は山形系こけしの第一人者となり、姉の敏子も一時こけしを描いた。
人物写真であるが、昭和43年8月、円応寺町の小林家の庭で収集家の箕輪新一が撮影したもの。向かって右から清次郎、はつえ、収集家の橋本正明である。左が吉三郎の家、奥が昭和31年に新築した清次郎の家、右がイタヤカエデ材。大学生だった箕輪、橋本両名は夜行列車で山形へ行き、清次郎宅を訪問すると「まんま、まだだろう?」と言われ、丸いちゃぶ台にはつえが朝食を用意してくれた。箕輪新一によると、橋本正明の向って左に干されているのは吉三郎の愛用していた羽織である。訪ねて来る若者を大切にした吉三郎は木地屋の歴史や心意気を丁寧に語ったらしい。吉三郎の心意気は清次郎とはつえにも受け継がれ、訪ねて来る愛好家を大切にした。そのような背景もあり熱心な愛好家に懇願され、はつえは久々に筆を持ったのだろう。
〔作品〕当時の小林家の作風に忠実に従った作品であった。

〔右より18.2㎝、24.7㎝、21.2㎝ (昭和57年9月23日)〕
また国府田恵一のブログ「こけし千夜一夜物語」第202夜(2017.7.21)にも小林はつえのこけしが二本掲載されている。こちらはロクロ線が入らず、菊模様と梅模様のこけしが掲載されている。
〔伝統〕 山形系 小林倉治-吉三郎-清次郎-はつえと続く系譜