伊藤松一(いとうしょういち:1924~2019)
系統:鳴子系
師匠:伊藤松三郎
弟子:伊藤宏美
〔人物〕 大正13年2日13日、鳴子伊藤松三郎、よねの長男に生まる。昭和16年日立の鉱山学校に在学中、妹が亡くなったので鳴子へ呼び帰された。妹は父松三郎の綱とりをしていた。
戦争中は鳴子で飛行機の監視員をした。この間に父松三郎より木地挽きの技術を習得した。終戦後、松三郎とともに沼井の開墾に従事、そのかたわら昭和22年ごろよりこけしも作り姶めた。写真による紹介は美術出版社〈こけし〉(昭和31年7月)が最初である。一時、プロパン業も兼業したが、まもなくやめてこけしに専心するようになった。〈こけし手帖・64〉で新進工人として紹介された。長男に一美、三男に宏美がいる。
昭和55年、鳴子町の産業功労者として表彰された。昭和59年頃三男の伊藤宏美が木地を学んでこけし製作を始めたが、程なく転業して現在は作っていない。
沼井開墾の苦労話や、狸寝入りの語源として狸を脅すと気絶する習性など、話を聞いていると楽しかった。
平成25年ころ、老齢になったので沼井の家をたたんで夫婦で仙台の養護施設に移った。このころからこけしの製作は行っていない。
令和元年10月21日没、行年96歳(数え年)。
平成26年の全国こけし祭りには鳴子の会場に姿を見せた。
〔作品〕 父松三郎よりの伝承で素朴な作風。昭和39年ごろから多く作った地蔵型は、清新な印象を与えた。変化は激しくないが、年々近代的になる傾向があった。松三郎のこけしと比較するとやや線が細く、繊細である。平成に入ると筆致はかえって素直になり。白い木肌にあどけない表情の慈味掬すべき作品が作られるようになった。
〔 右より 12.2cm(昭和45年)、12.2cm(平成8年)(橋本正明)〕
〔伝統〕 鳴子系金太郎系列
高橋金太郎ー万五郎ー伊藤松三郎-松一と続く系譜
〔参考〕