小椋英二(おぐらえいじ:1945~2020)
系統:木地山系
師匠:小椋久太郎/小椋留三
弟子:海老澤妙美
〔人物〕 昭和20年3月24日、秋田県雄勝郡皆瀬村木地山の小椋留三、ハルエの次男に生まれた。中学校在学時より山仕事及び本家(久太郎)の木地仕事を手伝った。中学校卒業後は、正式に本家にて木地業に従事、留三や宏一とともに久太郎の木地下を挽いた。
昭和42年5月木地業に見切りを付け、神奈川県座間市の日産工場へ入所、その後は中野工務店等で働き、昭和51年多摩市連光寺にて解体業小椋組を興した。
平成19年5月から八王子鑓水二丁目115-2へ自宅兼会社を移転した。
このころ八王子市長房町の海老澤妙美がこけし製作を習うようになり、平成23年から英二について木地を習い始めた。
平成20年代後半から体調が悪く、闘病生活を送っていたが、令和2年3月22日に逝去した。行年数え年76歳。
〔作品〕
15歳から24歳までの作が少数知られてるが、この時期は久太郎の木地下がメインのため市販されたものは皆無に等しい。
平成13年5月の〈こけし手帖・484〉で寝屋川市の中根巌によって紹介されてから本業の合間に十文字の本間功、山形の梅木修一の木地に描彩のみを行うようになった。
平成19年八王子へ転居したのを契機にロクロを購入し、その後は自挽きによる製作の割合が多くなった。模様は久太郎の梅鉢(横見梅)と菊花の他、泰一郎風の絣等、変わり模様も描いた。
〔右より 18.3cm(初作に近いもの?)、15.9cm(昭和45年前後?)(沼倉孝彦)〕
下掲は上掲沼倉蔵二本の署名部分。
〔右より 25.5cm(昭和45年前後)、24cm(平成14年)(沼倉孝彦)〕
〔系統〕
木地山系