海老澤妙美(えびさわたえみ:1970~)
系統:木地山系
師匠:小椋英二
弟子:
〔人物〕昭和45年5月6日に生まれた。平成19年東京都八王子市鍵水の解体工事を請け負う小椋組に入社した。小椋組の会長は木地山の小椋留三次男英二であった。経理を担当していたが、会長小椋英二のこけし描彩に割く時間があまりに多いのが本業に不都合と思い、仕事に集中してもらうために胴模様の描彩を手伝うようになった。英二はスケジュール管理も妙美に任せ、仕事とこけしの両方で妙美を重宝するようになった。妙美はやむなくこけしの描彩を手伝っていたが、徐々にこけしの奥の深さに触れて興味が湧いてきた。各地のコンクールで受賞する度に、英二に代わり妙美が赴き挨拶をした。東北各地で知り合いが増え、また英二をたずねて会社を訪れるこけし蒐集家からも影響を受け、平成25年後半に轆轤を自宅に設置して練習に励んだ。英二自身は木地挽きが非常に上手なのだが、挽き事が余り好きでなく、木地は小椋利亮から相応な金額で取り寄せていた。また横手市十文字町の本間功は、平成25年9月後半から10月にかけて、英二宅に泊まり込みで小椋組設置の轆轤を廻し、こけしの白木地を製作した。功は英二が轆轤技術と鍛冶作業の巧みなのに驚いたと言う。鉋の当て方が上手く功より量産したと話していた。
英二は体調が芳しくない中、妙美に木地と鍛冶の技術を伝授した。妙美は平成26年より自挽きのこけしを発表するようになった。この頃より妙美は久四郎を意識した作品を製作している。平成27年夏には木地技術と描彩が格段に進歩した。その時期の作品は、文献初出となった〈こけしの名札〉(青葉こけし会発行、平成29年9月1日)に掲載されている。妙美は小椋組の仕事の面でも取締役となり忙しさを増したが、平成29年11月に英二より作品の評価を得て、正式な後継者として認めるという書面を渡された。平成30年に事情があり惜しまれながら退社した。その後もこけしは多くはないが、作り続けている。店には卸していないが、こけしコンクールには少量だが、即売品を出品している。チェーンソーの講座を受けて本格的な木地師を目指している。
〔作品〕平成29年頃から本格的に製作するようになったが、その年の大阪こけし教室11月例会で頒布された。また同年にみちのくこけしコンクールに出品し、秋田県知事賞を受賞した。作品は英二の作風というよりは小椋久四郎を目指しているように見える。
〔右より 24.8㎝(平成24年12月)妙美とサインあるも面彩は英二の可能性有り、合作かもしれない、24.0㎝(平成25年9月)描彩のみ、17.8㎝(平成26年7月)自挽き・サインなし、23.5㎝(平成29年11月)自挽き、23.5㎝(平成29年11月)自挽き (中根巌)〕
〔24.5cm(平成29年11月)(大阪こけし教室)自挽き〕
自挽きで完成度の高い久四郎型を作っている。
〔伝統〕木地山系