小幡敏夫(おばたとしお:1932~2024)
系統:土湯系
師匠:小幡徳松
弟子:
〔人物〕昭和7年4月1日、福島県福島市置賜町の木地業小幡福松、チヨの長男に生まれた。小幡初子は姉である。昭和25年18歳より父の福松について木地の修業を始め、注文に応じた木地製品を作るようになったが、当初は新型木地が多く、東京からの注文もあった。昭和28年奈津子と結婚。昭和31年頃より旧型こけしの製作にも取り組み、妻女の奈津子とともこけしを製作した。昭和33年版の〈こけしガイド〉に作者としてこけしの写真と共に紹介された。昭和35年頃に最も力を入れてこけし製作を行った。昭和43年に父福松が他界したが、本業の木地製品の需要が盛んになり、こけし製作の余力は殆どなくなった。昭和51年に妻女奈津子と死別した。
令和6年1月21日、インフルエンザ悪化がもとで逝去した。行年93歳(数え年)。
〔作品〕敏夫名義で世に出たこけしの描彩には妻女奈津子の描彩によるものがかなりあると言われている。ただ個々について敏夫か奈津子かの議論は難しい。
〔右より 20.6cm(昭和35年頃)(井上洋)、23.8cm(昭和50年頃)(佐藤英里子)、20.5cm(昭和45年)(松田ひろむ)福松型〕
〔伝統〕土湯系
〔参考〕
・中根巌:小幡敏夫さんを悼む〈木でこ・257〉(令和6年11月10日)