佐々木嘉蔵

佐々木嘉蔵(ささきよしぞう:1926~1983)

系統:土湯系

師匠:佐藤佐志馬

弟子:

〔人物〕大正15年7月8日、福島県信夫郡佐倉村佐原字入左原の農業佐々木一重・チヨノの二男に生まれた。昭和16年3月佐竹尋常高等小学校を卒業した。昭和33年8月に東北電力㈱へ入社、福島市泉字堀の内16に住んだ。妻ミドリとの聞に和弘、和久、悦司の三子が生まれた。昭和38年1月より同40年1月まで佐藤佐志馬につき木地を修業、兄弟弟子に佐藤俊昭、佐藤久弥がいた。昭和40年1月に独立し、電力会社に勤務しながら、こけしを製作した。
昭和58年10月18日没、行年58歳。

佐々木嘉蔵

〔作品〕昭和40年の初作は師佐志馬の忠実な伝承を守って描法、色調、目鼻等そっくりのものであった。ただ佐志馬ほど筆致は緻密でなく表情大らかであった。ロクロ線は赤が主調で紫と黒が入っている。下掲はほぼその初作に近い作である。 


〔 24.2cm(昭和40年頃)(ひやね)〕

表情は次第に佐志馬調から離れて自分の表情に変わっていった。
昭和43年以降の作は、黒ロクロ線を用いる佐志馬式の胴模様から、赤、青、紫の細線、太線を組み合わせた自己の型に到達した。眼点やや大きく鼻小さく、あどけない表情になった。鹿間時夫は「派手ではあるが嫌味少なく、とぼけた味がよい。」と評した。下掲はその頃の作である。


〔 24.8cm(昭和45年頃)(高井佐寿)〕

昭和50年以降はやや胴が太くなり、ずんぐりとした形態になった。


〔18.4cm(昭和50年頃)(ひやね)〕

電力会社に勤務しながらのこけし製作であったので手は必ずしも定まってはいなかった。
50代で亡くなったのは惜しまれる。

〔伝統〕土湯系。加藤屋の様式を一応継承している。

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