毛利茂太郎(もうりしげたろう:1890~1955)
系統:津軽系
師匠:毛利與七
弟子:毛利専蔵
〔人物〕 明治23年4月10日、青森県南津軽郡山形村温湯鶴泉72の木地業毛利與七・かよの長男に生まれる。大正3年石名坂の渡辺兵吉四女すゑと結婚、テツ、専蔵、きさ、きぬ、きみ、正、みち、はちゑ、としゑ、とみえの十子をもうけた。木地の技術を父與七について修業、その技術を長男専蔵に伝えた。昭和30年8月18日没、66歳。
〔作品〕 昭和14年橘文策により〈こけしと作者〉で紹介されたときは、鳴独楽を主として挽いていたとある。かつて、エジコやこけしを挽いたというが、橘文策はこけしの実物を確認できなかった。エジコは一個入手したとされているが、写真紹介はされていない。
〈こけし辞典〉で鹿間時夫は「おそらく茂太郎のこけしはないのでないかと思われる」と書いた。
ただし、平成26年に発刊された〈こけし時代・11〉には木村弦三コレクション蔵品の写真が掲載されていて、その中に4本の毛利茂太郎名義のこけし写真が掲載されている。実に素朴な作風であり茂太郎作として見ても違和感は感じられない。特に頭頂に髷を備えた2本は異色である。
この毛利茂太郎型は平成25年に今晃により復元され大阪こけし教室で頒布された。
下掲の尺一寸は鈴木鼓堂旧蔵の茂太郎名義のこけし、作者名と52歳の記入があり昭和16年の作である。眼には睫毛を描き加えてあり、この時期の專蔵作と共通する。茂太郎名義で専蔵が作ったものかもしれない。
〔伝統〕 津軽系温湯亜系
〔参考〕
- 中根巌:毛利茂太郎と専蔵名義のこけし〈木でこ・236号〉(令和3年7月)