山谷藤吉(やまやとうきち:1865~1935)
系統:津軽系
師匠:山谷永吉
弟子:山谷権三郎
〔人物〕慶応元年10月1日、青森県温湯鶴泉の木地業山谷太兵衛(永吉)、いわの長男に生まれた。家名太兵衛、従来多兵衛と書かれる場合が多かったが戸籍表記では太兵衛である。母は板留村の花田惣左衛門の長女。
〈こけし手帖・41)に「多兵衛(永吉)ー多兵衛(東吉)」となっており、東吉=藤吉であるから父の幼名は永吉であろう。弟に藤三郎がいる。
藤吉は父太兵衛(永吉)より木地挽きを習い、長男権三郎に伝えた。昭和13年橘文策によりこけしを作った工人として紹介された。昭和10年4月25日没。行年71歳。
〔作品〕下掲8寸は山谷一家の昭和8年のこけし。〈こけし鑑賞〉に掲載された石井眞之助の注文品で、胴は中央の凹んだロクロ模様、面描の目鼻の線は荒いタッチで描かれ、三白眼の粗野な稚拙な情味の怪作であった。この型は〈こけしと作者〉以後のいわゆる太兵衛に比べると面描がかなり異なる。この手のこけしの現存数は非常に少ない。それ故、鹿間時夫は〈こけし辞典〉の藤吉の項目にこのこけしの写真を掲げ、「たぶん(権三郎)とは別人と思われ、あるいは藤吉の描彩かとも思われるが確証はない。」と書いた。
〔24.2cm(昭和8年)(鹿間時夫旧蔵)〕 石井眞之助旧蔵
〔伝統〕津軽系温湯亜系
上掲写真の型は太兵衛型として、毛利専蔵、北山盛治などが試みたことがある。
〔参考〕