小野寺梅太郎(おのでらうめたろう:1869~1926)
系統:木地山系
師匠:
弟子:
明治2年11月1日、秋田県雄勝郡大舘村の小野寺徳治、フンの長男に生まれる。弟に栄治郎、虎之助、為四郎などがいた。代々新太郎を名乗った塗師の家系である。明治24年木地山の小椋徳右衛門長女カネと結婚した。梅太郎自身は家業の塗師であったが、カネと結婚して以後、木地山のこけし描彩に関して種々工夫して影響を与えたという。本来菊花の描彩に、梅模様や前垂れ模様が加わったのは梅太郎の発案によると言い、特に妻カネの弟小椋久四郎や小椋石蔵等の描く木地山独特の前垂模様は、梅太郎の描彩様式を取り入れたもののようである。明治26年に名前を梅太郎から藤美に変えた。戸籍名も藤美に改名している。大正15年1月9日東成瀬村椿川字堤にて没した。行年58歳。
小野寺梅太郎はこけしの模様の発案者ではあるが、こけし工人ではない。なお、小野寺徳一は梅太郎の弟虎之助の長男である。
右:小椋久四郎 左:小椋石蔵
この前垂模様は小野寺梅太郎がデザインしたものという。
なお久四郎の前垂に描かれる梅模様を俗に梅鉢模様と呼ぶ人がいるが、下図のように家紋の梅鉢はまったく別の図案であり、むしろ横見梅を取り入れた考えるほうが妥当と思われる。