阿部敏道(あべとしみち:1941~)
系統:土湯系
師匠:阿部勝英
弟子:阿部国敏
[人物] 昭和16年11月28日、阿部金一・シナの長男として福島県信夫郡土湯温泉下ノ町に生まる。昭和32年中学校卒業後上京し川崎で旋盤工、浅草で菓子製造の職に就いた。昭和39年帰郷後は専ら母シナ経営の土産物店「まつや物産店」を手伝った。この時期,まつやは金一(昭和19年没)、治助(昭和27年没)がおらずこけしが作られる環境ではなかった。昭和43年義父である勝英がこけしを作り始めた関係で、義弟敏英の作品発表の少し後から木地修業を始め、昭和46年頃からこけしを発表するようになった。昭和61年以後は製作を休止しており,現在はシナより引き継いだまつや物産店を経営する傍ら温泉町の世話役をしている。
阿部敏道(平成26年5月20日)
〔作品〕 カセが二重または三重円で描かれているものは本人型、鱗状のものは治助型である。寡作であったため中古で見かける機会は少ない。
〔右より 21cm(昭和46年)、23.4cm(昭和48年)、24cm(昭和48年)、30cm(昭和60年)(菊地嘉樹)〕
下掲は治助を復元したもの。
〔伝統〕 土湯系下の松屋系列。吉弥ー熊治郎ー治助ー金一(シナ・勝英)ー敏道と続く下の松屋本家。現在は次男の国敏が継承している。