佐藤勝洋(さとうかつひろ:1944~)
系統:遠刈田系
師匠:佐藤護
弟子:佐藤早苗
〔人物〕 昭和19年4月28日、遠刈田新地の木地業佐藤護・多美恵三男として遠刈田新地に生まれる。昭和35年3月遠刈田中学校卒業後、茨城県土浦で働いていたが、37年4月より白石市にある仙南交通(現宮城交通)の整備工場へ就職した。昭和47年11月に白石市郡山の半田すえと結婚し一男二女をもうける。昭和49年頃より仕事の合間をみながら休日等に父護につき木地挽きの練習を始めた。昭和54年8月護が亡くなった後こけし作りを継ぐ決心をし、隣家の照雄・憲雄親子等に木地挽き技術の手直しを受けながら同年秋より描彩を始めてこけし作りを開始した。平成16年頃に宮城交通を定年退職し、その後はこけし専業となった。現在は遠刈田こけし組合の組合長を引き受けている。
〔作品〕 昭和54年の作は護の晩年を忠実に写したもので、描きなれていないため稚拙であるが素直な味わいがあった。以後は護の50歳代後半の作を手本とするようになり徐々に腕も上達、昭和58、9年は一種のピークとなり護の58歳の作と双璧をなす出来となった。昭和60年より叔父大原正吉及び護の古作写しを作りはじめた関係で、一時期本人型は目の大きさが小さくなったことがある。平成に入ると表情は元に戻ったが、前髪の位置がやや上方に描かれるようになった。本人型の胴模様の筆の太さが、昭和58年ころに比べてやや細い印象のものとなった。正吉型には昭和初期の正吉の剛直な表情をよく再現したものがある。
〔伝統〕 遠刈田系周治郎系列寅治家。後継者に弟子の佐藤(旧姓:達曽部)早苗がいる。