高橋武俊(たかはしたけとし:1951~)
系統:鳴子系
師匠:高橋武男/高橋正吾
弟子:
〔人物〕 昭和26年7月16日、玉造郡鳴子温泉湯元の木地業高橋武男、みきの長男に生まれる。昭和50年3月に立教大学を卒業後、同年4月より叔父の経営する仙台港近くのガス会社で一年間働いた。昭和51年5月に鳴子の実家である高亀商店へ戻り、木地の修業を開始した。この時期高亀では、武男の他に作業場には叔父の正吾、弟子で職人の須貝国男と大場政彦が働いていたが、武男は既にロクロから離れていたため技術面は主に正吾について学んだ。こけしは昭和52年4月より作り始めた。その後は正吾や職人が独立していったので、武男と武俊の作のみが店で売られていた期間があった。平成12年に武男が筆を折ってからは一人でこけし・鳩笛等の木地玩具を製作している。老舗高亀には武俊と正吾のこけしが並べられている。
技術面では正吾の指導に因るところが大きい。初期には武男の薫陶を受け継いで古作写し等を安易に行わない製作姿勢を保っていたが、最近では鳴子古型の研究にも熱心であり、作者不明の古作再現を試みたりしている。
高橋武俊 平成26年6月28日
〔作品〕 昭和50年代は武男を忠実に写した作風であったが、60年頃より目鼻、胴模様がやや大きく筆使いも勢いのあるものになり、葉先が鋭角的になった。平成9年頃から正吾の本人型に合わせて胴の緑ロクロ線を廃し、重ね菊は武蔵古作のように外下がりに菱菊も一門の作者遊佐雄四郎風の筆使いに変化した。平成22年以降は重ね菊を外上がりに、菱菊の様式も以前の高亀様式に戻されたが、孤高清純といわれた武男の伝統を受け継いで取り組んでいる。
〔右より、18.2cm(平成18年9月)、24.5cm(平成26年5月)高橋五郎蔵復元(庄子勝徳)〕
〔右より 25.7cm(平成29年5月) 、24.0cm(平成26年9月)(橋本正明)〕
上掲写真左端は平成26年の第60回全国こけし祭りで企画された「創生期の古い鳴子こけしをイメージする競作」に出品されたもの。決して写しではなく、古い様式に高亀の作風を反映させた清楚なこけしとなっている。右端は平成29年の再挑戦作。武俊はこの古型製作に当たって、新考案の胴模様を描いた。高亀の庭に咲いたエゾキスゲをモチーフにしたという。
〔右より 13.2cm(平成29年8月)、18.4cm(平成30年5月)(橋本正明)〕
上掲右端は長沢の長作文書の寸法図をイメージして試作した作り付けである。
下掲は茜の染料を用いた作り付け小寸の古型である。
〔伝統〕 鳴子系高橋直蔵系列