高橋勘四郎(たかはしかんしろう:1902~1944)
系統:鳴子系
師匠:高橋勘治
弟子:
〔人物〕 明治35年2月20日、宮城県玉造郡鳴子温泉の高橋勘治・たんの四男にうまれる。高橋盛は兄にあたる。父勘治について木地を学び、こけしも作った。深沢要が高橋盛から得た聞書きに「兄弟4人の中で、こけしを作ったのは勘四郎と私だけである〈こけしの追求〉」とある。
後に鳴子を去り、湯沢・神戸・横須賀を転々としたのち仙台に落ち着いた。佐々木家に養子に入ったという。昭和19年7月に仙台で没した。行年43歳。
〔作品〕 大正期の勘治一家のこけしは合作が多く、こけしの木地は専ら盛や勘四郎が挽き、勘治はこけしではなく主に椀類を挽いていた。ただ描彩は勘治も手伝っていたというから、当時のこけしは勘治、盛、勘四郎や、さらに盛の妻女きくゑも加わり、一家で描彩していたことになる。ここに写真で掲げる三角胴、ロクロ線模様の小寸は盛一家のこけしの中に時々見受けられるが、こうした三角胴のこけしを盛が「勘四郎が作ったものだ」と言っていたので、いまでは勘四郎作ということになっている。古鳴子の風韻を感じさせる小寸である。
〔13.6cm(大正中期)(日本こけし館)〕深沢コレクション
〔系統〕 鳴子系利右衛門系列