阿部計英

阿部計英(あべかずえ:1937~2017)

系統:土湯系

師匠:阿部広史

弟子:高橋賢三

〔人物〕 昭和12年2月8日、福島県土湯温泉木地業阿部広史、みねの三男に生まれる。友寿は長兄にあたる。12歳ころよりロクロに上がり、こけしも作ったというが、正式に父広史について木地を修業したのは昭和30年からであり、商品としてこけしを売り出したのも昭和30年頃からである。昭和34年頃からは祖父金蔵の型も作るようになった。昭和59年に父広史が亡くなってからは、上の松屋の直系としてこけし製作を続けた。晩年に体調を壊し、平成19年暮れよりこけし製作を中止、翌平成20年に入り間もなく入院した。長く入院中を続けたあとやや回復して、平成28年の土湯こけし祭のころには少数こけしを製作したが、平成29年11月24日に没した、行年81歳。

阿部計英 昭和41年

阿部計英 昭和41年

〔作品〕 戦後の阿部広史の作品は近代風の甘い作風に変わっており、計英も初期の作品はその影響を強く受けていた。その後金蔵型を作るようになって、金蔵の古風さと青年計英の瑞々しさが合わさった魅力あるこけしを作るようになった。しかし、金蔵のこけしのイメージが薄れてくると初期の甘さが出てくる傾向があった。昭和45年から55年くらいに張りのある作品が多い。ただ金蔵型と称しているが復元の元になったものが大正期の広史と思われるものもある。いずれの場合でも性格から来る線の細さはあるものの溌剌とした佳品であった。

〔20.8cm(昭和52年)(橋本正明)〕
〔20.8cm(昭和52年)(橋本正明)〕

金蔵に加えて父広史の作風に沿ったこけしも作っていたが、平成に入ると面描はかなりロマン調になって行った。


〔右より24.0cm、24.0cm(平成11年)(高井佐寿)〕

戦前の広史の作風に従ったものには、まとまり良く魅力的な作品もあった。下掲は伊勢こけし会頒布でらっここれくしょんの広史の様式に従ったもの。


〔24.3cm(平成18年)(橋本佳子)〕

〔伝統〕 土湯系松屋系列

〔参考〕  こけしのなかのわたし

〔参考〕  Kokeshi Doll 匠

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