吉野誠二

吉野誠二(よしのせいじ:1950~)

系統:肘折系

師匠:佐藤昭一

弟子:

〔人物〕 昭和25年6月15日、埼玉県比企郡鳩山町今宿に、文政8年から7代続く豆腐屋吉野平次・トリの次男として生まれた。この地は越辺川の上流から流した材木を筏に組んで、荒川、隅田川へと運んだ西川材の集散地として栄えた場所である。しかし豆腐屋は平次までで廃絶、誠二は昭和48年中央大学商学部を卒業後川越の丸広百貨店に勤務、現場を経験して、やがて労組専従、人事部マネージャー、能力開発担当、の表彰制度開発マネージャーなどを歴任し平成27年定年退職した。
昭和45年新聞日曜版の特集記事を見て、こけしブームを知り温湯の盛秀太郎を訪ねたのを皮切りとして、佐藤丑蔵、佐藤文助、佐藤春二、奥山喜代治などのこけしを手に入れ、益々熱が入り以降蒐集家としての道を歩むこととなる。
平成6年新宿三越で佐藤昭一の展覧会をきっかけとして、以降昭一の展覧会や個展の手伝いをさせてもらうようになる。平成10年仙台国分町の店に保管してあった轆轤や巳之助使用のウマを譲り受け、木地挽がスタートする事になる。正式な弟子の契約はしていないが、以降何かと昭一手伝いをする傍ら、鉋の作り方、研ぎ方、染料や蠟の事まで教えを乞うようになった。
以降、作品は表には出さなかったが、轆轤に親しみ、木地を作り、描彩も手掛ける事となる。平成18年から27年までは多少のブランクもあったが、定年を期に平成27年6月より本格的にこけし作りを始めた。
工房名は『伝統こけし 楽木工房』、(ラッキーと読む)と称している。

吉野誠二 平成27年
吉野誠二 平成27年

〔作品〕 平成27年11月山形の「みちのくこけしまつり」に出品し、清新な作風で注目を浴びた。こけしの型は周助型を継承していて、面描に眼力があり、筆使いにも筆力があって、まさに周助伝統の三白眼になっている。胴模様も肘折菊が力強く踊っていて良い味が出せている。その他にも、周助の明治型、栗頭、黒頭や巳之助の本人型、武井武雄の愛蔵図譜掲載の中島正型など多彩に作る。

〔右より 10.5cm、24.0cm、25.5cm、10.5cm(平成27年)(箕輪新一)〕
〔右より 10.5cm、24.0cm、25.5cm、10.5cm(平成27年)(箕輪新一)〕

系統〕 肘折系周助系列

〔参考〕

  • 伊勢こけし会便り・149
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