新山左京

新山左京(にいやまさきょう:1934~)

系統:弥治郎系

師匠:新山左内

弟子:新山民夫

〔人物〕  昭和9年3月18日、新山左内・松代の長男として福島県玉山(現在のいわき市玉山温泉)に生まれる。昭和11年に一家は茨城県日立市助川へ移り、さらに昭和19年福島県東白川郡矢祭に疎開した。昭和23年に同地の高等小学校を卒業、24年に一家で父左内の故郷弥治郎に戻った。 木地はこの頃から修業を始めた。当初は新型の木地の注文が大部分であった。昭和30年頃から伝統のこけしを求める愛好家が増えてきたので、左内型の伝統のこけしを作り始めた。昭和32年に弥治郎の入り口にこけしの店を開業、父の左内とともにこけしを作り続けた。昭和52年からは長男の民夫も木地の修業を始め、こけしを作っている。

新山左京 昭和36年 撮影:露木昶

新山左京(昭和42年7月)

新山左京(昭和42年7月)

新山左京  撮影:坂入良喜

新山左京  撮影:坂入良喜

〔作品〕 父新山左内の戦後の型を忠実に継承することからこけし製作を始めた。
昭和40年代の前半、栄五郎の型の廃絶を惜しむ蒐集家の依頼で、いくつかの栄五郎型を作ったことがある。鹿間時夫の勧めによる初期栄五郎の復元や、〈こけしの美〉原色版米浪庄弌蔵の6寸を写した作は、栄五郎の復元として成功したものだった。
ただし、昭和46年頃から、新山学が栄五郎の型を継承するようになったので、以後栄五郎型はあまり作っていない。

〔18.3cm(昭和42年7月)〈こけしの美〉の栄五郎復元、22.4cm(昭和43年6月)鹿間時夫蔵栄五郎復元(橋本正明)〕
〔18.3cm(昭和42年7月)〈こけしの美〉の栄五郎復元、
22.4cm(昭和43年6月)鹿間時夫蔵栄五郎の復元(橋本正明)〕

昭和50年代から平成の始めにかけて、左京の作る左内の型には、徐々に左京自身の感性と工夫が加わって、細身でバランスの美しい形に変わっていった。弥治郎系の中では比較的地味な作風だった左内型のこけしが、この時期に左京によって新らたな瑞々しい魅力を展開し始めたことは、伝統こけしの将来に一つの可能性を感じさせた。


〔23.8cm(昭和53年12月)(橋本正明)〕

昭和63年の全国こけし祭りでは最高賞を受賞した。

〔29.4cm(平成11年)(高井佐寿)〕
〔29.4cm(平成11年)(高井佐寿)〕

系統〕 弥治郎系新山系列  新山久治郎-新山左内-新山左京-新山民夫と継承

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