平賀謙一(ひらがけんいち:1943~2007)
系統:作並系
師匠:平賀謙次郎
弟子:平賀輝幸
〔人物〕 昭和16年9月14日宮城県作並の木地業平賀謙次郎の長男に生まれる。昭和37年3月仙台工業高校土木科を卒業し、東京に出てしばらく働いたが、昭和42年4月に作並に戻り、父謙次郎について木地の修業を始めた。昭和43年28歳の時から、こけしの製作を開始し、謙一名義のこけしを出すようになった。昭和62年から長男輝幸が木地の修業を開始した。
父謙次郎とともに長く作並温泉の「平賀謙次郎商店」の作業場でこけしや玩具を作り続けたが、平成19年8月11日に他界した。行年65歳。
〔作品〕 昭和43年にこけしを作り始めたころは、その当時の謙次郎のこけしを忠実に写したこけしであった。当時の謙次郎は、胴がやや膨らんで太いものだったので、初期の謙一のこけしも胴の太いものだった。〈こけし辞典〉にこけしを作り始めて間もないころの作例が紹介されている。
昭和46年頃になると、謙次郎のもとに蒐集家が戦前のこけしを持ってきて復元を依頼するようになる。謙一も、そうしたこけしを見て、復元を行うようになり、謙蔵型、謙次郎戦前型を世に出すようになった。昔の作並のこけしに倣って作った胴の細い作品は、古風な情趣があり佳品であった。
〔伝統〕作並系。長男の平賀輝幸が後を継いでいる。
〔参考〕
- 斎藤良輔:父と子と〈こけし手帖・140〉(昭和47年11月)
- こけしのなかのわたし