宮島重昭

宮島重昭(みやじましげあき:1929~)

系統:山形系

師匠:小林吉太郎

弟子:

〔人物〕 昭和4年10月20日、裁判所事務宮島某長男として米沢駅前に生まる。小学校時代より米沢の小林吉太郎に木地挽きを習っていたが、小学校卒業後、米沢航空工場(職長:小林吉太郎)へ入所し本格的に木地を挽くようになった。昭和18年、吉太郎が死亡したので、米沢航空分工場に移り、高崎栄一郎、梅津春雄、藁科茂等と軍需品を挽いた。終戦後の経歴ははっきりしないが、新型や創作の木地を専門に挽いていたようである。昭和45年に木地業として独立し、昭和51年頃より旧型こけしも作るようになった。なお創作こけしにおいては銘を「宮嶋無筆」としていた。平成18年に妻女が亡くなってからは旧型の製作は休止している。

〔作品〕 昭和51年以前の作品は知られていない。胴模様の冠部を「宮」、根締(ねじめ)部を「嶋」に置き換えて描き、面描は新型風の影響がある。

〔30.3cm(平成14年)(高井佐寿)〕
〔30.3cm(平成14年)(高井佐寿)〕

〔伝統〕 技術継承は山形系であるが、添川一や小林友次同様の「米沢一般型」である。

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