西山敏彦

西山敏彦(にしやまとしひこ:1958~)

系統:土湯系

師匠:西山憲一

弟子:

〔人物〕  昭和34年6月30日、福島県土湯温泉の木地業西山憲一・キヨの三男に生まれる。
昭和53年3月福島県立福島商業高校を卒業後、飯坂温泉のホテル聚楽㈱に入社、昭和55年転職して東北ムネカタ㈱で働いた。平成5年、家業を継ぐべく「こけしクラフト西屋」ルミネ店を開き、店長となる。 平成7年より父憲一について木地を修業した。平成15年「こけしクラフト西屋」の代表に就任する。憲一の死後、平成20年6月よりこけしの製作を開始した。現在は実家のまえ、国道115線に面した「こけしクラフト西屋」の隣にあるロクロ工房で、こけしや新考案の玩具を製作している。。

西山敏彦 平成25年3月
西山敏彦 平成25年3月

〔作品〕   父・西山憲一の型を継承している。本人型、憲一型に加え、祖父・勝次型、曽祖父・辨之助型も作る。また、新創案のこけし応用民芸品等にも製作意欲があり、ガラス容器やステンシル等の新技法を駆使したえじこの中に、想像で作った二代目・浜吉型、初代・弥三郎型も加えた六世代の豆こけしを入れることがある。
足踏みのように木肌の荒いこけしを作る際には、モーターの速度が可変のろくろを使用する。

正式に市販するようになったのは平成20年であるが、木地の修業を始めた平成7年以後のいくつかの試作こけしは残っている。
ここに示すのは〈東北のこけし〉に載った高井佐寿の6寸、平成9年の試作段階であるが、あどけない表情の愛すべきこけしになっている。

〔18.0cm(平成9年)(高井佐寿)〕
〔18.0cm(平成9年)(高井佐寿)〕

正式に作り始めた初期の作は、下の写真の庄子勝徳蔵の20年7月、また中根巌により〈木でこ・190号〉に紹介された平成20年8月作5本等が代表的な作例である。素直な筆法で、初作の初々しさと製作への意欲が表れている。

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〔23.8cm(平成20年7月)(庄子勝徳)〕

〔右より 27.3cm、25.8cm、24.9cm、17.1cm、18.2cm(平成20年8月)(中根巌)〕 (〈木でこ・190〉より)
〔右より 27.3cm、25.8cm、24.9cm、17.1cm、18.2cm(平成20年8月)(中根巌)〕
(〈木でこ・190〉より)

〔30.3cm(平成25年3月)(西屋)〕辨之助型

〔30.3cm(平成25年3月)(西屋)〕 辨之助古こけしの写し

平成25年に辨之助の黒くなった尺の古こけしの写しを作った。その後平成26年になってから、その写しの印象に基づいて7寸あまりの辨之助型を作り始めたが古風な仕上がりの佳品であった。

〔22.2cm(平成26年7月)(橋本正明)〕 辨之助型
〔22.2cm(平成26年7月)(橋本正明)〕 辨之助型

〔伝統〕  土湯系湊屋系列西屋。 湊屋の佐久間亀五郎弟弥三郎(金作)が西屋に養子に入り、以後浜吉-辨之助-勝次-憲一-敏彦と続く系譜。

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