佐藤達雄(さとうたつお:1943~)
系統:木地山系
師匠:佐藤四郎/佐藤秀一
弟子:沼倉孝彦
〔人物〕 昭和18年7月21日、秋田県湯沢市川連の佐藤四郎・キヤの次男として生まれる。父四郎は川連の佐藤利吉商店四男で、川連の伝統工芸である漆器業と木地業を経営し、盆、椀、花器、仏具等を販売していた〈大阪こけし教室会報「こけし山河」第269号・中根巌〉。
昭和36年3月秋田県立湯沢高校卒業後、東京で2年弱サラリーマン生活を送るも20歳で家業を継ぐために帰郷した。
佐藤利吉商店では、木地挽きと漆塗りの両方を行っており、達雄も父四郎に師事した。
昭和47年10月高橋泰子と結婚。
もともと漆器の木地下を挽く川連の地木地師の系列で(木地山から下りてきた渡木地師の系列と異なる。こけしは製作販売しなかったが、平成8年頃よりこけしの試作を行っていた。こけしの木地挽きについては、佐藤秀一に師事した。佐藤秀一は父四郎の椀挽きの弟子でもあった。
平成22年5月、沼倉孝彦が弟子入り。以後、沼倉は達雄の工場でこけし木地を挽いている。
〈大阪こけし教室会報「こけし山河」第269号〉で中根巌により新人工人として紹介され、平成26年夏、木地山こけし展に参加した。
本人型の他、小椋泰一郎型を泰一郎の孫より許可を得て製作している。また小椋嘉市型、樋渡治一型なども製作している。
なお、昭和4年に天江富弥が訪問した際、こけしを注文したのが佐藤利吉商店であり、利吉はこけしを製作しないことから小椋泰一郎のこけしを取り次いでいた。そのため、昭和7年に橘文策が訪問して誤りを修正するまでの期間、達雄の祖父佐藤利吉がこけし作者として蒐集界に知られていた。
〔作品〕 本人型は川連一般型と、秋田県出身の版画家・池田修三の描く少女をモチーフにしたという金髪・目の周囲を青く塗った創作に近いものがある。
描彩は稚拙な味わいがあり、湯沢周辺の泥臭さを持つこけしの中にマッチしている。
〔19.6cm(平成10年2月1日本人型)〕(沼倉孝彦蔵)〕
〔右より 22cm(平成26年12月)嘉市型・伊勢こけし会頒布、15cm(平成26年8月4日)泰一郎型、18cm(平成26年8月4日)本人型(沼倉孝彦蔵)〕
〔伝統〕 木地山系川連系列。描彩は見取り。
〔参考〕
- 中根巌 大阪こけし教室会報〈こけし山河:第269号〉
- 青葉こけし会「青い顔のこけし」