伊藤政治(いとうまさはる:1859~1936)
系統:木地山系
師匠:不明
弟子:伊藤儀一郎/伊藤兵太郎/伊藤常治
〔人物〕 安政6年11月14日、秋田県雄勝郡皆瀬村に生まる。農業伊藤多郎兵衛の二男。明治21年30歳で川連村の井上栄治の長女キサと結婚。連れ子の儀一郎とキヱを養子とした。その後、兵太郎、ミヱ、リヨ、リヱ、常治、永太郎の三男三女が生まれた。
家が小安温泉にあったので、農業の傍ら旅館も営んだ。木地の師匠は不明。子の兵太郎と常治に木地挽を教えた。
現存する2本の伊藤政治のこけしは、作り付けで前掛をした川連型の作風であるから、政治の木地技術は川連で修得されたものだったであろう。昭和11年7月31日没、行年78歳。
〔作品〕現存する2本は政治生存を知った石井眞之助が製作依頼して昭和11年に手に入れたもの。
〈こけし手帖・69〉の「思い出のこけし」にその経緯が書かれている。実子常治経由で2本の政治を手に入れ、1本は橘文策に譲ったとある。下掲は石井眞之助が手元に残した33.0cmの政治で、背面には「昭和11年6月22日、子安温泉12伊藤政治作78歳」と書かれてある。
橘文策に譲られた一本は〈こけしと作者〉で紹介された。橘は「タッチ蕪雑であるが、老練にして多彩、情味豊かな点で子に劣らなかった。」と書いた。このこけしは橘文策から名和好子の手に渡り、後に名和コレクションを管理していた(株)アリミノによって秋田県に寄贈されて、横手市の秋田ふるさと村に収納された。このこけしは令和2年第44回秋田県こけし展特別展に展示された。
これらのこけしが作られた約一ヵ月後に政治は他界しているので貴重な遺品となった。
〔24.2cm(昭和11年7月13日)(秋田ふるさと村)〕橘文策、名和好子旧蔵
伊藤儀一郎が日本画家野口小蘋の粉本をもとに描いたこけしとはまるで異なり、川連風の前垂れ模様が描かれている。
〔伝統〕木地山系
〔参考〕
- 石井眞之助:思い出のこけし〈こけし手帖・69〉(昭和41年12月)
- 沼倉孝彦:木地山系小安こけしの変遷〈秋田こけし会通信・261〉(令和2年3月〉