岡崎栄蔵(おかざきえいぞう:1904~1976)
系統:蔵王高湯系
師匠:岡崎栄治郎
弟子:
〔人物〕 明治37年、蔵王高湯の岡崎栄治郎二男に生まる。大正元年8歳の時に一家で山形市に転出、大正5年父栄治郎は招かれて単身で北海道に渡ったが、大正6年一家も栄治郎のいた北海道天塩町に渡り、大正13年には父栄治郎に従って稚内町に家族で転住した。父について木地を修業。稚内時代には父を手伝って玩具の製作を行い、こけしも作ったという。昭和6年栄治郎より独立して札幌市に移り、転業してカフェーを姶めた。昭和8年に父の一家も札幌に転居した。昭和10年には江別市に移ってカフェー料理店を開業した。その後、札幌市に住んだという。昭和51年没、行年73歳。
栄蔵は父栄治郎の思い出を「酒が大好きで一日も欠かしたことがなかったようです。私が知ってからでも毎晩飲んでいました。性格はとても明るく、人に好かれ、また良く人のことを心配してやって、金銭上の保証なんかもして、そのためずいぶん弁償させられたりしましたので、父の代は生活も楽ではありませんでした。稚内や札幌に居りました頃は、碁が好きで、毎晩友人が来て楽しんでおりました。」と語っていた。
〔作品〕 作品は未確認。ただし、昭和32年ころ東京こけし友の会の小野洸の要請で切紙にこけしを描彩したものが〈こけし手帖・20〉に紹介されている。木地に従事したのは、稚内時代の限られた期間であり、こけしも蒐集家の手に渡ることはなかったと思われる。
〔系統〕 蔵王高湯系能登屋