岡崎昭一

岡崎昭一(おかざきしょういち:1941~1995)

系統:蔵王高湯系

師匠:岡崎直志

弟子:岡崎せつ子

〔人物〕 昭和16年7月16日、山形県米沢市小野川温泉のこけし工人岡崎直志、菊子(戸籍表記はきく)の長男に生まれる。母菊子はこけし工人岡崎久太郎の長女である。高校卒業後、昭和35年ころより父直志について木地の技術を学んだ。しばらくは友人の会社を手伝ったり、また友人と電気の会社を興したりして、木地に本格的には取り組まなかった。昭和40年代になって木地にも本格的の取り組むようになった。昭和43年に母菊子が他界した。昭和49年ころより、昭一名義のこけしを発表するようになった。昭和51年に父直志が他界した。昭和53年には妻せつ子も昭一の指導でこけしの描彩を行なうようになった。元来寡作で作品数は多くはない。岡崎久太郎型、岡崎栄治郎型にも取り組み、作品としても高水準であったが、平成7年9月10日、行年55歳で亡くなったのは惜しまれる。亡くなったのは会社勤務中に、二度目の蜂に刺され、アナフィラキシーショック症状を起こしたことによる。

岡崎 昭一
岡崎昭一

岡崎昭一

〔作品〕 岡崎直志からの継承のほかに、祖父久太郎、曽祖父栄治郎の型も作った。


〔右より 22.4cm、30.3cm(昭和54年)(高井佐寿)〕 左は岡崎栄治郎型


〔20.5cm(昭和54年)(橋本正明)〕

昭和55年の正月に東京の備後屋で開催された「こけし 古作と写し展」には、北村勝史蔵の昭和初期岡崎久太郎の写しを出品、オカッパの量感ある見ごたえのある作品であった。

〔32.5cm(昭和54年12月)(橋本正明)〕
〔32.5cm(昭和54年12月)(橋本正明)〕「こけし 古作と写し展」


〔 25.4cm (昭和56年)(橋本正明)〕

系統〕 蔵王高湯系能登屋

〔参考〕

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