奥山庫治(おくやまくらじ:1934~2008)
系統:肘折系
師匠:奥山喜代治
弟子:鈴木征一
〔人物〕昭和9年6月10日、奥山喜代治、ハツエの長男として山形県最上郡肘折温泉に生まる。昭和24年頃父喜代治より木地を習う。同27年より東邦亜鉛大蔵鉱業所に勤めたが昭和34年大蔵鉱業所が閉鎖となったために九州の対馬鉱業所端島営業所へ異動、翌年退社し帰郷した。昭和37年矢作キエ子と結婚、浩・浩喜の2男をもうけた。子供が出来てからは出稼ぎをやめ、山菜採り、トタン工、旅館の手伝い等を行った。
昭和39年頃から副業でこけしを挽きはじめ、昭和45年頃よりこけし専業となった。父喜代治が昭和47年に亡くなった後、鈴木征一が弟子入りした。
昭和53年ころには作業場を温泉街から川向に移して引き続き営業した。平成10年代に入り体を壊すようになり製作量は減少した。平成20年9月21日没、無類の酒好きであった。享年75歳。
〔作品〕昭和39年にこけしを作り始めたころは、その時期の父喜代治の作風を写した作品であった。几帳面に父の型を継承しようとして、一筆一筆丁寧に描いていた。初出の文献は〈美と系譜〉で昭和41年6月作が掲載されている。
下掲写真右端は、初めて戦前の喜代治の型に取り組んだ時のもの、木地は喜代治で描彩のみ庫治である。左端以降は木地描彩ともに庫治の作。この頃から、比較的自由に筆を振るうようになり、戦前の喜代治の大らかな作風を感じさせる作が多くなった。
〔右より 30.5cm(昭和43年)、25.0cm (昭和46年)(橋本正明)
下掲も戦前の喜代治の復元作、昭和40年代の半ば頃には多くの古品の復元を行ったので、庫治本人の作風にも幅が出来た。
〔右より 24.7cm(昭和46年)、23.4cm(昭和45年)(橋本正明)〕
下掲は昭和初期の奥山喜代治の復元であるが、面描の緊張感ある筆法、完成度において出色のできであった。
下掲は、肘折の金山商店で発見された大正期の奥山運七の復元作。運七の原物写真は〈木の花・第七号〉〈こけしの旅〉33ページに掲載されている。原物の運七の雰囲気を良く再現出来ている。
こけしは寡作ながら晩年まで作り続けた。
下掲は最晩年の作で筆はあまり走らなくなったが、几帳面な作風は変わっていない。
〔伝統〕肘折系運七系列 奥山の作風は鈴木征一に伝わっている。また庫治に私淑して親交のあった阿部薫は見取りで庫治の型を作る。
〔参考〕