小椋利亮(おぐらとしあき:1955~)
系統:木地山系
師匠:小椋久太郎/小椋宏一
弟子:
〔人物〕昭和30年12月22日、秋田県雄勝郡皆瀬村川向(通称木地山)の小椋宏一、リヨの長男に生まれた。祖父小椋久太郎に可愛がられ、幼い頃から木地挽きの手ほどきを久太郎から受けた。幼い利亮を久太郎が手をとるように教えている写真はよく旅行雑誌などにも掲載された。
利亮が挽いたこけしの木地には、久太郎が描彩して利亮名義で蒐集家に渡していたこともあった。久太郎は後継者として利亮に期待をかけていたものと思われる。
利亮自身は木地は挽くようになったが、自分で描彩をすることはあまり無かった。蒐集家からの要請によって描いたことはあった。
久太郎、宏一が亡くなった後は、利亮が自分でこけしを作っていたが、製作数は多くはない。その後、木地山から離れたのでこけし製作は行っていない。
小椋一家 昭和50年
左より 宏一、留三、久太郎、ミヨ、利亮、リヨ
〔作品〕昭和39年頃利亮名義のこけしが出たことがある。木地は利亮、描彩は久太郎といわれているが、実際の木地山のこけし製作体制は家族合作であり、描彩は基本的に久太郎が全部行なっていたから、誰の木地に利亮名義を描いたかは厳密には判らない。下掲はその利亮名義の作例である。署名も久太郎の筆跡で利亮としたためてある。
昭和50年代になって、蒐集家の要請によって利亮自身の描彩による作品も現れるようになった。
〔系統〕木地山系