神尾敬三朗(かみおけいざぶろう:1935~)
系統:山形系
師匠:神尾長八
弟子:
〔人物〕 昭和10年11月27日、山形県天童市久野本の木地業神尾長八長男に生まれる。山形の小林倉治に木地を学んだ神尾長三郎は祖父である。昭和23年より父長八について木地の修業を始めた。そのころ神尾長八は天童久野本の工場で会田栄治等とともに新型こけしを主体として玩具等を挽いていた。敬三朗は父のいた天童木工で木地挽きを続けたが、こけしは作らなかった。昭和25年高等小学校を卒業、同27年父長八が56歳で他界した。そのため一時米沢に出て働いたが、昭和29年に天童久野本に戻って独立開業し、会田栄治とともに戦前の長八の型に従ったこけし製作を始めた。
〔作品〕父長八の死後、一時米沢に出たが昭和29年に天童に戻り、こけし製作を始めた。
下掲写真は昭和31年8月発行の〈こけし手帖・10〉に掲載された写真。左を神尾長三郎としているが誤植で、これが敬三朗の極初期の作である。昭和30年ごろまで、こうした初期の作は亡くなった父長八の名義で店に出ていたようである。
その後、細筆で硬い筆致の面描をのこけしを作るようになった。下掲は昭和44年7月に東京の備後屋で扱われたものであるが、古風な直胴で、甘さも少なく敬三朗としては佳品の部類に入る。
神尾長八の様式に従ったこけしの製作を続けた。
〔伝統〕山形系
〔参考〕