河村守

河村守(かわむらまもる:1938~2016)

系統:鳴子系

師匠:河村清太郎

弟子:菅原修/佐藤こずえ

〔人物〕 昭和13年1月22日、秋田県本荘町裏尾崎町、木地業河村清太郎・フエの五男に生まれる。高等学校卒業後、父清太郎について木地を修業。昭和33年頃より、こけしも作り始めたが、ほとんど蒐集家の手には渡っていない。父清太郎が昭和38年に脳溢血で倒れたため、守が家業を継いだ。昭和39年から昭和45年頃までかなりこけしを製作したが、以後会社勤めを始め、木地専業ではなくなったので、こけしも多くは作らなかった。平成28年3月24日没、行年78歳。

河村一家 右端河村守 昭和40年3月大石真人撮影 〈こけし手帖・59〉より
河村一家 右端 河村守 昭和40年3月大石真人撮影 〈こけし手帖・59〉より


河村守 平成27年9月 撮影:佐藤こずえ

〔作品〕 父清太郎ゆずりの作品。製作初期の作は非常に少ないが、浅賀八重子旧蔵品の中に昭和33年11月作と書入れのあるものがある。ほぼ作風は完成している。初出の文献は〈こけし手帖・59〉で、昭和40年3月に作った5本が大石真人により紹介された。昭和41年にロクロを処分したといわれたが、昭和42年には東京三越本店の物産展に15cm、18cm各15本が出品され、また昭和43年3月に開催された同物産展に再び若干本の出品があった。昭和45年7月には名古屋こけし会で頒布された。その後はまれにしか作らず、作品の数も少ない。〈こけし辞典〉にも写真は掲載されなかった。

〔右より 24.5cm(昭和41年2月)、18.0cm(昭和40年)、21.2cm(昭和39年10月)、24.6cm(昭和33年11月)(鈴木康郎)〕
〔右より 24.5cm(昭和41年2月)、18.0cm(昭和40年)、
21.2cm(昭和39年10月)、24.6cm(昭和33年11月)(鈴木康郎)〕
左端は極初期、浅賀八重子旧蔵

〔右より 14.5cm(昭和43年2月)、18.5cm、14.3cm(昭和42年5月)(橋本正明)〕
〔右より 14.5cm(昭和43年2月)、18.5cm、14.3cm(昭和42年5月)(橋本正明)〕
右端は三越の物産展に出たもの

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〔21.1cm(昭和56年)(庄子勝徳)〕

〔伝統〕 鳴子系外鳴子

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